今回はバルセロナ退団を発表したセルヒオ・ブスケッツ選手について書いていきます。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目はバルセロナ(2008~2012)時代です。
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①チームの心臓部として堂々たるプレー
ブスケッツ選手は2005年にバルセロナの下部組織に入団。2007-2008シーズンには当時バルセロナBを率いていたグアルディオラ監督の下プレーし、当時4部だったバルセロナBをセグンダ・ディビシオンB(3部)に昇格させる立役者の一人になります。
そしてグアルディオラ監督がトップチームの監督に昇格した2008-2009シーズンに抜擢されると、その戦術眼の高さと巧みなキープ力を生かしてチームの心臓部と言えるアンカーのポジションで堂々とプレー。
ヤヤ・トゥーレ(当時はトゥーレ・ヤヤ)との併用という起用法だったもののシーズンを通してコンスタントにプレーしチームの3冠獲得に大きく貢献しました。
そのシーズンではアーセナルやリヴァプールなどが食指を伸ばしていたもののクラブは即座に彼とプロ契約。当時非売品を意味する違約金8000万€を設定する等、シャビ、イニエスタ、メッシ、ピケ等と共にクラブの宝として認識される事となります。
②センターバックでも輝きを
そして翌シーズンにポジションを掴み取りアンカーのレギュラーとして躍動。当初守備面の問題が指摘されていましたが(そもそもフィジカルを前面に押し出すヤヤ・トゥーレと全くタイプが違います。)、出足の鋭いインターセプトでボールを奪取。
チーム自体も前からボールを奪うスタイルだったので、上手く自身のプレースタイルと合致し相手を徹底的に押し込む(所謂「ずっと俺のターン」)事に成功。
翌シーズンは同タイプでプレミアリーグで実績を積み重ねてきたマスチェラーノが加入。その起用法に注目が集まりましたが、グアルディオラ監督はマスチェラーノを起用する際にブスケッツ選手をセンターバックで起用。ブスケッツ選手もそれに応えるかのように抜群の読みと戦術眼を生かして最終ラインで輝きを見せる等、相乗効果もありチャンピオンズリーグとリーガ2冠の立役者となります。
③代表でも巧みなタクトを
また代表では2009年に初招集。黄金時代を迎えていたスペイン代表でも巧みなタクトを振るい2010年W杯ではシャビ・アロンソとダブルボランチを組みレギュラーとして全試合に出場。
そのゲームメイクも冴えていたものの特筆すべきはその守備力で、チームは優勝するまでの4試合を全て無失点で終える快挙を達成。(史上初)
クラブだけではなく代表でも中心選手として圧倒的な存在感を示しました。
更にユーロ2012でもレギュラーとしてプレーし優勝に大きく貢献。若いながらも世界最高のアンカーとしての評価を得る事となります。
彗星の如く現れ、瞬く間にクラブでも代表でも地位を確立された「グアルディオラの秘蔵っ子」ブスケッツ選手。その後もクラブは彼と共に輝かしい道を歩んでいくのでした。
では
(アディダス) adidas/22/23スペイン代表/ホーム/半袖/セルヒオ・ブスケツ/QA253-HL1970
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(ナイキ) NIKE/19/20バルセロナ/ホーム/半袖/セルヒオ・ブスケツ/AJ5532-456
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