今回はレアルマドリード所属のルカ・モドリッチ選手について書いていきたいと思います。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目はディナモ・ザグレブ~トッテナム(2003~2010)時代です。
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①華奢な少年
モドリッチ選手は生まれ故郷が戦場になり、少年期をクロアチア紛争の最中で過ごすなど過酷な環境に置かれていました。しかし彼自身はACミランに所属していた母国の英雄ボバンに憧れサッカーに熱中するも華奢で線が細い為、ハイドゥク・スプリトのトライアルに不合格。地元チームであるNKザダルの下部組織に入団し、名門ディナモ・ザグレブの下部組織に加入することになります。
そしてその才能は高く評価され、18歳の時に異例の「10年間」のプロ契約を結びトップチームデビュー。しかし当時は司令塔にクラニチャールがいた為、武者修行でズリニスキ・モスタル(ボスニア)、ザプレシッチにレンタル移籍。するとザプレシッチではタイトル争いに大きく貢献しリーグ2位へ導く活躍を披露。
すると翌年クラニチャールがハイデュク・スプリトに移籍すると2005年1月に呼び戻され、リーグ3連覇に貢献。自身も2007年にはリーグ年間最優秀選手に選ばれました。
クロアチア代表にも2006年にフル代表デビュー。EURO2008予選ではイングランド相手に次々とチャンスを作り出し、チームの本選出場に大きく貢献。同時にイングランド代表の予選敗退の大きなきっかけになった為に大きく注目されることとなります。
そして数多くのクラブからの関心を集めるも、最後までそのポテンシャルを信じ切ったトッテナムがモドリッチ選手を獲得。移籍金はクラブ史上最高金額の2300万€となりました。
②EURO2008最大の収穫
そして迎えた初の国際舞台であるEURO2008でモドリッチ選手は躍進を果たします。オーストリアとの初戦に自身のPKで決勝点を挙げると、2戦目のドイツ戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる素晴らしい活躍を披露し、チームの金星に大きく貢献。その後決勝トーナメント準々決勝に進出し、そのトルコ戦では先制点をアシストするもチームは追いつかれPK戦でも最初のキッカーになるものの外してしまいチームは敗退。
結果的には悔しいものとなってしまいますが、自身は「EURO2008最大の収穫」と評されUEFA選定大会優秀選手に選ばれました。恐らくユーロ後では市場価格は倍になるほど跳ね上がる&競争が激しくなったと予想され、当時から評価されていたトッテナムのリクルーティングの上手さが改めて証明される形となりました。
③クラブ躍進の原動力に
そして迎えたプレミアリーグ初年。モドリッチ選手は怪我や不慣れな役割、そしてリーグへの適応に時間が掛かったことで低調なパフォーマンスを続けていましたが、クラブがファンデ・ラモス監督からレドナップ監督に代わると自身も本領を発揮。チームは8位に終わるものの持ち味はしっかり発揮すると、翌シーズンは骨折もあり離脱期間はあったものの、長らく同僚になるコルルカ、ドーソン、レノン、ベイル、デフォー等と共にクラブ史上初めてのUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に大きく貢献。
そして2010-2011シーズンは初のチャンピオンズリーグでチームはベスト8の結果を残しクラブは躍進。自身もプレミアリーグ屈指の司令塔としての評価を確立させます。
そして高まる名声はメガクラブの関心を多く寄せることとなります。
では
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