今回はACミラン所属のズラタン・イブラヒモビッチ選手について書いていきたいと思います。1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目はアヤックス~ユベントス時代(2001-2006)です。
①ヤンチャな超絶テクニシャン
イブラヒモビッチ選手はスウェーデンのマルメで頭角を現しアヤックスに約10億円で引き抜かれました。当時のイブラヒモビッチ選手は「速くてデカくて上手い」選手の代表格で、伝説的プレーヤー「ファン・バステンの再来」と言われていました。
まあ本人は憧れは持っていたものの「俺はズラタンだ。」状態でしたが、、、。
特にボールコントロールは「超絶」の域にあり、細かいタッチで相手を剥がし足に吸い付くようなトラップを見せていました。
ただ今と同様、ヤンチャっぷりはそのままでファン・デル・ファールトとの確執、ミドと大喧嘩をするなど問題行動も多かったです。
特に有名なのは当時ノルウェー代表のFWだったカリュー選手に自身の技術を「無意味なもの」と批判された際に放った一言
「カリューがサッカーでできること、それを俺はオレンジでできる。」
いや例えオシャレ過ぎでしょ。
②チャンピオンズリーグでの躍進
そんなイブラヒモビッチ選手が名を挙げたのはチャンピオンズリーグでの躍進です。アヤックスは2002‐2003シーズン、当時フランス王者リヨンをアウェーで破り1次リーグを突破、バレンシア、ローマ、アーセナルと同居し「死のグループ化」した2次リーグも辛くも突破する(1勝5分)と、このシーズン優勝を果たしたACミランに2-3で惜敗。ベスト8で敗退するもロナルド・クーマン率いるアヤックスは高い評価を受け、イブラヒモビッチ選手も例外ではありませんでした。
結局そのシーズンは移籍しなかったものの2003-2004シーズン終了後、リーグ優勝を置き土産に移籍を果たします。
インテル、バルセロナ、レアル・マドリード、アーセナルなど多くのビッグクラブへの噂は絶えなかったものの彼が選んだのは意外なクラブでした。
「イタリアの貴婦人」ユベントスへの移籍でした。
③チームの中心選手でありながら、、、
悪童のイメージがすっかり定着したイブラヒモビッチ選手の、チームへの適応が心配された2004-2005シーズンでしたが、予想以上にフィットし自身の存在感を高めていきます。当時ユベントスはデル・ピエロ、トレゼゲなど一線級のFWを揃えていましたが怪我が多く層に問題がありました。その穴埋めのためにイブラヒモビッチ選手は獲得されましたが彼らが復帰後もレギュラーを張り続け、クラブの「バンディエラ」デル・ピエロを控えに置くほどの活躍を見せます。
翌年も7得点と数字は残せませんでしたが終始レギュラークラスとしてプレーし、スクデット獲得に大きく貢献。新たなシンボルとして長きに活躍することを期待されました。しかし2006年ユベントスは審判操作疑惑(カルチョスキャンダル)が起こりセリエBに降格。数多くの選手がチームを去る中イブラヒモビッチ選手も例外ではなく、インテルへの移籍が決定します。
しかしイブラヒモビッチ選手にとってユベントス時代とカペッロ監督の存在はかなり大きかったらしく
「カペッロだよ。彼とブッフォン、テュラム、カンナバーロが俺をマシーンに変えた。」と当時を振り返っています。
そして新天地インテルでイブラヒモビッチ選手は「真のワールドクラス」の仲間入りを果たしたのでした。
では
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