今回は今シーズン限りで引退を表明したカルロス・テベス選手について書いていきたいと思います。
①ライバル国にも愛されたプレー
カルロス・テベス選手は13歳でボカ・ジュニアーズの下部組織に入団、その後17歳でトップチームデビューを果たすとすぐにレギュラーに定着。2003年のリーグ優勝、コパ・リベルタドーレス優勝、トヨタカップ優勝の中心選手としてプレーします。
しかし若くしてスター(アルゼンチンの英雄ディエゴ・マラドーナに喩えられることが多かったです。)になった彼には苛烈なマスコミ報道が襲い掛かり、耐えかねた彼はヨーロッパ移籍に向けて、MSI社の元ブラジルのコリンチャンスに移籍することに。この若きスターの移籍劇はアルゼンチン、ブラジル両国に物議をもたらし、ブラジルの大統領が「彼は活躍出来ない」と発言する等、国内でも大きな注目を浴びることになります。
それでもテベス選手は移籍から半年後にはキャプテンを任される等欠かせない選手となり、ブラジル全国選手権1部で優勝の原動力に。そのひたむきにボールを追いかける献身的な姿と、ゴール前でもぶれない技術の高さ、そして批判をもろともしない強靭なメンタルはライバル国でも愛され、ブラジルで評価された数少ないアルゼンチン選手となりました。
②ヨーロッパでも輝いたその異質なスタイル
そして2006年にウェストハム(イングランド)に同僚のマスチェラーノと共に入団。当初はビッグクラブ移籍が濃厚でかなり驚かされた移籍であり、テベス選手は入団後不振に陥りますが、シーズン終盤には10試合で7得点を挙げて残留の原動力に。
その経験が生きたのか、翌シーズンレンタルで加わった名門マンチェスターユナイテッドでは2冠(プレミアリーグ、チャンピオンズリーグ)に大きく貢献。特にルーニー、クリスティアーノ・ロナウドとのトリオは当時世界最高とも言えるカウンターを発動させました。
しかし翌年はベルバトフの加入により出番を減らすと、完全移籍にクラブが消極的であった為、2009年にライバルのマンチェスターシティに移籍。シティではクラブの黎明期を支える活躍を披露。2010-2011シーズンにはキャプテンに任命され35年ぶりのタイトルとなるFAカップ優勝に貢献します。そんな中のシーズンオフ、テベス選手は移籍を志願するものの最後まで決まらず、更にアグエロの獲得によりプレー時間を奪われていきます。そしてチャンピオンズリーグのバイエルン戦でまさかの途中出場拒否でマンチーニ監督との仲が決裂します。しかしテベス選手が謝罪することで両者は和解し、劇的なプレミアリーグ優勝に貢献を果たします。
その後2013年にセリエA連覇を果たしていたユベントスに加入。バンディエラデル・ピエロが付けていた背番号10を背負うという重責を負いながらも19ゴールを挙げ、連覇に貢献。そして翌シーズンにはチャンピオンズリーグでも活躍し、クラブの決勝進出に大きく貢献しました。
当初は戦術的な縛りが多いヨーロッパでは通用しないと評されたその異質とも言えるプレースタイルは、実は見事に戦術的であり、ビッグクラブでも十分に通用。ややピッチ外ではエゴイストな部分は見せるものの試合での貢献度は図り知れず、数多くのタイトルを勝ち取ることとなりました。
③一番のファンを失い、決断
しかし反面アルゼンチン代表ではビッグタイトルをもたらすことは出来ませんでした。
主力として活躍したのは2007年のコパ・アメリカ2010年南アフリカW杯のみと寂しい結果になりました。前者はサブメンバー中心となったブラジルに決勝でまさかの敗戦、後者ではマラドーナ監督の元主力メンバーとなりますが、準々決勝でドイツに大敗することとになります。
ユベントス退団後テベス選手はボカに2度復帰(2015、2018)、上海申花(中国)でプレーし2021年に無所属の状態に。そして先日引退を名言することになりました。
理由は2021年2月に他界した父の存在があったようで、テベス選手は自信を支え続けてくれた一番のファンを失ってしまった事で、決断に至ったとのことです。
数々の名声やタイトル、お金を得ながらも原動力は父の喜ぶ姿。彼らしい動機だと思います。素晴らしいプレーを見せて貰い本当にありがとうございました。
今後は指導者の道に進むようで、その強烈なパッションでチームを鼓舞する彼の姿を見れることを今後は楽しみにしていきます。
では
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