今回はユベントス所属のクリスティアーノ・ロナウド選手について書いていきたいと思います。1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目はマンチェスター・ユナイテッド時代(2003-2009)です。
①栄光の7番
当時ユナイテッドはレアルマドリードに移籍したベッカム選手の後釜を探していました。最有力はパリSGのロナウジーニョ選手でしたが、親善試合で圧巻のプレーを見せたロナウド選手に監督や選手はすぐさま獲得を進言。
10代の選手としては当時世界最高の1224万ポンドの移籍金、栄光の7番を用意するなど待遇面も破格でその才能がいかに素晴らしかったのが伝わります。
前述したロナウジーニョ選手もバルセロナで黄金期を築き上げ、お互いにとって最高の取引となったと言えます。
②独善的なドリブラー
入団当初のプレースタイルは一言で言うと「独善的なドリブラー」です。サイドに張った状態でスピードを生かし、代名詞であるシザーズフェイントを駆使しシュートやクロスに持ち込むプレーが得意でデビュー戦では鮮烈なインパクトを与えました。
しかしボールの持ちすぎや独りよがりなプレーが多いことで数字は伸び悩み、チームメイトと揉めることも少なくはありませんでした。しかしファーガソン監督は辛抱強く起用し戦術眼を磨かせます。そしてロナウド選手を輝かせるチームメイトの存在が大きな飛躍のきっかけとなります。
③最高のパートナー
2004年のルーニー選手加入はロナウド選手にとって非常に重要な出来事となりました。入団後、自分以上の活躍を連発するルーニー選手に刺激されピッチ上の振る舞いも徐々に変わっていきます。
しかし2006年ドイツW杯でロナウド選手がルーニー選手の退場を促す行動をしてしまうと関係が悪化。一時期ロナウド選手が移籍を考えるまでに至ってしまいます。
その後和解を果たし、よりピッチ上での連携が深まると2006-2007シーズンではシーズン23得点、2007-2008シーズンではシーズン42得点の大爆発、バロンドールを受賞します。その背景には「最高のパートナー」の存在が大きかったのは言うまでも無いでしょう。
そして当時史上最高額で「白い巨人」への移籍を果たします。
では