今回はワールドカップ予選ヒストリーを日本代表中心に書いていきたいと思います。
2回目は「2010年 南アフリカW杯」です。
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主な布陣
①病に倒れたオシム監督
2006年ドイツW杯で惨敗した日本代表はジェフユナイテッド市原・千葉で「考えて走るサッカー」を哲学とし革新的なサッカーを展開したオシム監督を招聘。
「オシムチルドレン」である阿部、山岸、羽生、水本の等に加え、A代表0キャップの鈴木啓、闘莉王を抜擢。さらに若手の川島、今野、矢野、長谷部、ユース世代の西川、伊野波等を試すなどW杯から大きくメンバーを変え世代交代を行い、アジアカップではベスト4で終わり連覇を逃すも内容は悪くなく、未来は明るいものであると思われました。
しかし2007年11月16日にオシム監督が脳梗塞で倒れ緊急入院。奇跡的に回復はするも監督業を続けられる状態では無くそのまま退任。何とも無念な途中退任となってしまいました。
②守備をベースとし予選を突破
そんな中後任に選ばれたのは1998年のフランスW杯でも指揮を執った岡田監督でした。経験豊富な監督の元、僅かな時間で3次予選を迎えることとなった日本代表はバーレーンに0-1で敗北を喫するものの自力を見せ突破。
その後の最終予選ではアジアの気候やアウェーでのジャッジに苦労する場面はあったものの2009年6月6日のウズベキスタン戦で勝利し、史上最速でW杯出場を決定させました。
岡田監督は守備をベースとした堅実なサッカーを展開し、オシム監督から行われていた世代交代も引き続き行われ、岡崎、本田、内田、長友等長らく代表の主軸を務める選手達もこの頃に抜擢されました。最終予選突破当時は世代交代や戦術の浸透など問題点は余り噴出されず、いい精神状態で本大会を迎えることであろうと思われました。
③メディアとの対立と噴出し続ける解任論
しかしその後の親善試合でセルビア(0-3)、韓国(0-2)に散々な内容で連敗を喫すると一気にチームは停滞ムードに。そして岡田監督が試合後のインタビューを拒否する等険悪だったメディアとの関係が裏目に出て、チームや監督に批判が集中することに。
特に本来擁護側に回るであろうOBや解説陣が軒並み低評価を下すことで、世論は一気に岡田監督解任論に傾き、噴出し続ける解任論とメディアの総叩きの中本選を迎えることになりました。そして行われた直前の親善試合のイングランド、コートジボワール戦にも無惨にも敗戦。もはや予選通過は絶望的とも評され期待値もかなり低いものに。
しかしそんな中監督、選手達は驚くべき反発力を見せていくことになっていきます。
では
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