今回はワールドカップ予選ヒストリーを日本代表中心に書いていきたいと思います。
初回は「2006年 ドイツW杯」です。
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主な布陣
①「黄金のカルテット」を中心に
2002年の自国W杯をベスト16という成績で終え、更に進化を求められる中就任が決まったのは当時の鹿島アントラーズの土台を作り上げた「神様」ジーコ監督でした。
ジーコ監督は選手の「自主性」を重んじ、当時日本史上最高のタレントを要した「黄金のカルテット(中田、中村、小野、稲本)」を中心としたチーム作りで2004年のアジアカップを制覇。更に2次予選を堂々首位通過と着実にチーム作りと結果を両立していました。
しかし自身に「哲学」が無く選手達に半ば「丸投げする」その指導スタイルは、試合によっての安定感を損なわせ、度々紙一重の戦いや機能不全のまま敗北する試合も度々見られ批判の対象の元にもなっていました。当時大いに話題になった「史上最強世代」というのも大きな足かせになったと思います。
そんな中行われた最終予選。日本は朝鮮民主主義人民共和国、イラン、バーレーンと同じグループに入ったものの警戒すべきはイランぐらい。難なく本大会は突破されるものであると評されました。
②神様、仏様、大黒様
そんな中行われた初戦朝鮮民主主義人民共和国戦で日本は大いに苦しむ事となります。ホームで後半アディショナルタイムまで同点とまさかの大苦戦を強いられますが、その時に輝いたのはこの試合代表2戦目となった大黒選手。
終了間際にゴールに流し込み決勝点を挙げると、彼は「神様、仏様、大黒様」と持ち上げられ、度々強運に恵まれていたジーコジャパンの象徴となっていきます。
③アブダビの夜
しかし続くアウェーのイラン戦では「ヘリコプター」ハシェミアンの2発に沈むと、3戦目のバーレーン戦ではオウンゴールでの辛勝と内容は決して良くなく、親善試合でも目立った収穫は無くチームは苦しい状況に陥りました。
ただ続く4戦目の3日前に選手「のみ」で緊急にミーティングを行うことに。後に三浦選手を中心とした「アブダビの夜」と呼ばれるその話し合いでチームは再び団結力を取り戻し、アウェーのバーレーン戦を1-0と勝利。続く中立地で行われた朝鮮民主主義人民共和国戦では2-0で勝利し、3大会連続となるワールドカップ出場を世界最速で決めることになります。
アジアカップ優勝やFIFAコンフェデレーションズカップでの戦いぶり、そしてW杯出場と素晴らしい結果をもたらしていたジーコジャパン。しかしその選手任せの戦術、そしてサブ組の冷遇など細かなマネジメントの欠如は大きな歪となり、本大会で決定的な亀裂を生むことになってしまいます。
では
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