今回は今シーズン限りの現役引退を表明した稲本潤一選手について書いていきます。
経歴
稲本選手は1997年にガンバ大阪で、当時史上最年少の17歳6か月でデビュー。その後主力に定着し、代表でもワールドユース、オリンピック代表を経て1999年にはA代表に呼ばれる程の実力を発揮する事になります。
そして2001年にヴェンゲル監督の目に留まり、名門アーセナルに移籍。しかし当時ヴィエラたジルベルト・シウバが君臨していたチームでは出番は無く、2002年の日韓W杯後にフルハムにレンタル移籍。2シーズンプレーした後、WBAやカーディフなどでもプレーしました。
その後トルコのガラタサライ、ドイツのフランクフルト、フランスのレンヌでプレーし、2010年に川崎フロンターレに移籍し日本復帰。センターバック起用等、新境地を開拓し5シーズンの間プレー。
その後コンサドーレ札幌に移籍。2016年に右ひざ前十字じん帯断裂の大怪我で引退の危機に立たされるも見事に復帰し、2019年からはSC相模原、2022年からは関東サッカーリーグ1部の南葛SCに移籍。そして2024年12月4日に現役引退を発表しました。
①「ボランチ」を体現した選手
稲本選手の特長はボール奪取力と巧みな攻撃参加であると思います。
日本人離れしたフィジカルと巧みなポジショニングで相手選手のキープに上手く割り込みボールを刈り取る姿は正に職人技の一言。若い時はアグレッシブ過ぎる部分はあったものの、年齢を重ねるごとに円熟味を増しセンターバックでも起用される事もありました。
またボールを味方に預けるとスルスルッと前線に上がり、抜群のタイミングでゴール前に顔を出しフィニッシュワークに絡む等、巧みな攻撃参加も大きな武器に。
当時守備専業やゲームメイク型の選手が多かった中、ボックスtoボックス型のプレースタイルは新鮮味があり、日本サッカーにおいて「ボランチ」を体現した選手の一人となっています。
②日本中を熱狂させた2ゴール
稲本選手のハイライトと言えばやはり日韓W杯でしょう。
当時初のW杯勝利を目指していた日本代表ですが、初戦のベルギー戦では後半に先制点を奪われるものの鈴木選手のつま先に当てるゴールで同点に。そして後半22分に柳沢のパスに抜け出したのは背番号5、DFを躱して一時逆転となるゴールを挙げました。
しかしその後追いつかれて初戦はドローに終わる事に。続くロシアはグループ内でも直接のライバルとなっており決勝トーナメントの行方を左右する1戦に。
するとその負けられない1戦で稲本選手は躍動。強度の高い守備で中盤を引き締めると、後半開始直後の5分に中田浩二からのパスを柳沢がワンタッチで落とすと、ボールは稲本選手の元に。冷静に右足を振りぬくとボールはネットに突き刺さりゴール。これが決勝点となり、日本は歴史的なW杯初勝利を挙げ、稲本選手はこの歴史的勝利の立役者となりました。
そして大会後はその衝撃的な活躍もあり、フルハムからのオファーが届くことに。彼のキャリアを大きく左右し、さらに日本中を熱狂させた2ゴールとなりました。
③「黄金の中盤」が全員
稲本選手の今回の引退で、かつてジーコ監督の下日本中を騒がせた「黄金の中盤」が全員ユニフォームを脱ぐことに。
しかし中田選手は早すぎて勿体ないと言えますが(2006年に29歳で引退)、中村選手は2022年(44歳)、小野選手は2023年(44歳)、そして稲本選手は45歳と長年トップレベルでプロとして活躍。間違いなく日本サッカーに大きな影響を与えた選手となっています。
引退後は指導者の道に進む事を公言しており、もしかするとJ1の舞台、そして代表の試合でピッチライン上で指揮を執る稲本選手を見ることが出来るかも知れません。
長らくサッカーファンを熱狂させた稲本選手。現役生活28年間、本当にお疲れさまでした。
では
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