きちのうすめ雑記

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中村俊輔~ワールドクラスの左足~【特集】

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今回は今シーズン限りの現役引退を表明した中村俊輔選手について書いていきます。

Getty Images

経歴

中村俊輔選手は桐光学園高校から横浜マリノスに入団。初年度から活躍を披露し、Jリーグ優秀新人賞を受賞する等印象的なプレーを披露。さらに1999年からはエースナンバーである背番号10番を背負い、合併し新たに発足した横浜F・マリノスの象徴としてプレー。

Jリーグ1stステージ、ナビスコカップ優勝に貢献し、2000年にはJリーグ最優秀選手賞、日本年間最優秀選手賞を獲得し、日本を代表する選手となります。

そして2002年レッジーナ(イタリア)に移籍すると、怪我もありながらも中心選手として3シーズンプレー。その活躍を評価したストラカン監督の要望もあり、セルティックスコットランド)に移籍します。

当初はフィジカルを前面に押し出すスコットランドリーグの適応に疑問符がありましたが、即座にチームにフィットし大活躍。初年度からリーグ、リーグカップ優勝に貢献すると、2006-2007シーズンにはホーム、アウェイ両方でマンチェスターユナイテッド相手に直接FKでゴールを決める等大活躍。チーム初の決勝トーナメント進出に大きく貢献し、欧州リーグで初のMVPを獲得します。

そして2009-2010シーズンにエスパニョール(スペイン)に移籍するも適応に苦しみ、半年で横浜F・マリノスに帰還します。

すると初年度から中心選手としてプレー。2013年には史上初となる2度目のJリーグMVPを獲得しますが、2016年にチームの強化方針に不信感を示し退団。

その後はジュビロ磐田でプレー、初年度こそは中心選手としてプレーするも、怪我や肉体的な衰えもあり2019年限りで退団。最後は横浜FCで3シーズン半プレーし現役を引退することになりました。

 

①ワールドクラスの左足

中村選手の特長は何といってもその左足から放たれるキックでしょう。

直接フリーキックは勿論の事、コーナーキック、オープンプレーからのスルーパスの精度もピカ一で言葉通り針の穴を通す精度を誇っています。

また特段目立ったスピードやフィジカルこそは無いものの、相手の逆をフェイント、そして深い切り返しで躱す技術を兼ね備えており、前を向かせると非常に怖い存在です。

しかも視野も広くキックレンジも広い為、相手からすると目を離せない怖さを持っています。

その多彩なキック、広い視野と技術の高さ、そしてフィジカルが前面に出ないプレースタイルから、絶滅危惧種であったファンタジスタを体現した選手であったと言えます。

 

②W杯での輝きは

しかしクラブレベルでは大きな成功を収めた反面、代表での最高の舞台であるW杯での輝きは殆ど見ることは出来ませんでした。

最初のチャンスであった2002日韓W杯では代表の広告塔に選ばれながらも足首の怪我により結果を残せずにいると、トルシエ監督の起用ポジションは中田が君臨していたトップ下では無く慣れないウイングバック。最終選考で落選する悔しい結果となりました。

kichitan.hatenablog.com

 

2006年ではジーコ監督からの信頼を得るものの、結果はグループリーグ敗退。自身もオーストラリア戦でのゴール(これがW杯での唯一の得点となりました。)のみと、精彩を欠きました。

kichitan.hatenablog.com

 

そして選手人生の集大成としていた2010年では不調によりレギュラー落ち。チームは決勝トーナメントに進出する躍進を見せるも、自身はオランダ戦の途中出場のみ。大会後に代表引退を決断するに至ります。

kichitan.hatenablog.com

 

輝かしいキャリアを重ねながらもW杯での活躍はならず。それぐらいW杯の舞台は厳しいことを知らされました。

 

③忘れられない3発

最後に中村選手による忘れられない3発を紹介します。

まず1発目は2003年のコンフェデレーションズカップのフランス戦のゴールです。遠藤と言葉を交わし放たれた一撃は4枚の壁を越え、ゴール右隅へ。名手バルテズを破った素晴らしい一撃でした。

そして2発目は2005年のコンフェデレーションズカップのブラジル戦での無回転ミドルです。0対1で迎えた27分、素早いリスタートから25メートルの強烈なシュートは不規則な軌道を描きそのままゴールに。その試合で中村選手は全得点に絡み、ゲームMVPに輝くこととなります。

最後はやはりクラブの伝説となっているチャンピオンズリーググループステージ、マンチェスターユナイテッド戦の一撃でしょう。

特にホーム「セルティック・パーク」での一撃はチームを初の決勝トーナメントに導く一撃となっており、今もクラブのの歴史的場面として記憶されています。

 

26年もの間、その左足で多くのサッカーファンを魅了させた中村俊輔選手。今はただ身体を休めて再びサッカー界に戻って来てくれることを心から望んでします。

 

本当に長い間、お疲れさまでした。

 

では

 

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