きちのうすめ雑記

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W杯激闘の記録と記憶~2002 日本代表~【サッカー】

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今回は日本代表の過去のW杯での記録、そして記憶に残ったことを書いていきます。

 

2回目は「2002 日本代表」です。

Getty Images

結果:決勝トーナメント1回戦敗退

vsベルギー  △2-2

vsロシア   ○1-0

vsチュニジア ○2-0

vsトルコ   ●0-1

 

主な布陣

 

①黄金世代の台頭と監督の哲学

1998年W杯を3戦全敗で終えた日本代表は、アフリカを中心に実績を残していたトルシエ監督を招聘。4年後のW杯の準備を着実に進めていきます。

トルシエ監督はワールドユース代表、そしてシドニー五輪代表も兼任し若い世代の選手の発掘、そして育成に重きを置き、ワールドユースでは1981年以来の決勝進出を果たし五輪ではベスト8まで駒を進めました。

そして小野、高原、稲本、中田浩二等1979年生まれの黄金世代が台頭し、代表に定着。そしてトルシエ監督は自身の哲学であるコンパクトなライン(通称フラット3)からの堅守速攻を推し進めると、政権継続が危うかったアジアカップを圧倒的な攻撃力を擁し見事制覇。本大会での期待が高まりました。

ただ2001年のフランス戦で大敗(0ー5)を喫すると、戸田や服部などフィジカル面に秀でた選手達を重用することに。結果守備は安定しFIFAコンフェデレーションズカップで準優勝を果たすなど躍進するものの、よりサッカーはフィジカル重視なものに。内容はやや乏しいものの確固たる結果を残し、評価を固めることに成功しました。

そして最終選考では直近で精彩を欠いていた中村俊輔、病気で離脱した高原が外れ、精神的支柱としてベテランの秋田や中山か選考される事となりました。

 

②史上初のグループリーグ突破

W杯ではこれまで

・過去の開催国はすべてグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出している

というジンクスがあり、未だW杯で未勝利の日本にとっては大きなプレッシャーとなりました。

そして迎えた初戦、日本はヴィルモッツ要するベルギー代表に対して先制を許すものの、小野のロングボールに反応した鈴木がつま先で押し込み同点ゴールを挙げると、稲本の持ち上がりからシュートで逆転ゴールを奪います。しかし後半30分に同点ゴールを挙げられ試合は引分に。W杯初の勝ち点獲得を達成します。

2戦目はグループ本命のロシア代表戦。司令塔モストヴォイを怪我で欠き厳しい状況ではあったものの、カルピン、スメルティン等有力選手は健在。日本は1戦目よりディフェンスラインを低めにした布陣で臨むと、後半初めの稲本の2戦連発となるゴールを守り切り見事にW杯初勝利を挙げます。

そしてグループリーグ突破を懸けた3戦目はチュニジア戦。引き分けでも突破という状況で前半はスコアレスで折り返すものの、後半に交代した森島がいきなりミドルを突き刺すと、市川のクロスを中田英がダイビングヘッドで突き刺し2点差で勝利。

大きなプレッシャーを跳ね除け史上初のグループリーグ突破を果たすこととなります。

 

③不完全燃焼の試合

そして迎えた決勝トーナメント1回戦、相手はハカン・シュキュル、ルストゥを擁するトルコ代表でした。当然侮れない相手ながらトルシエ監督は西澤の後ろに三都主を配置するこれまでにない形を採用。その奇策は残念ながら機能することなく攻撃は停滞。三都主フリーキックがポストに阻まれる等ありましたが、前半のセットプレーからの失点を取り返すことなく敗北。不完全燃焼とも言える内容で大会を去ることになりました。

確かに最大目標であったグループリーグ突破は達成したものの、この指揮官の奇策が招いたとされた敗北は確固たる戦術、哲学を持った監督に対する不信感を招き(これまでも衝突は度々あったようです。)、日本サッカー界は黄金世代を中心とした「見ていて自由で美しいサッカー」に舵を切ることとなります。

 

では

 

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