1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
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①左右両方起用出来る利便性と強靭なフィジカルを武器に
長友選手は大学時代までは無名の選手でしたが、明治大学サッカー部に入学しボランチから右サイドバックにコンバートされるとそのフィジカルと運動量で見事にモノにし、全日本大学選抜やユニバーシアード代表にも選出される等頭角を現しました。
そのプレーもありFC東京が興味を示し、2007年に特別指定選手として加入。その後ナビスコカップで途中出場を果たし、公式戦デビュー。その後2008年に正式にFC東京とプロ契約を結び開幕戦かレギュラーとして活躍。
左右両方起用出来る利便性と強靭なフィジカルを武器に翌年Jリーグベストイレブンに輝く等、僅か2年でリーグを代表するサイドバックとして急成長します。
②電撃的だったビッククラブ移籍
そして2010年のW杯での活躍もあり、セリエAに昇格したチェゼーナに移籍。移籍先でも持ち前のユーティリティー性とそのコミュニケーション能力で、即座にチームの中心選手として活躍。世界最高レベルのリーグでも十分戦えることを証明します。
するとその活躍でポテンシャルを感じたのは、日本でもプレーしていたレオナルド監督。チェゼーナには1月最終日に完全移籍を果たしたもののその直後に監督が熱望したことでサントンとの電撃トレードで、セリエA名門のインテルに移籍が決定。
当時モウリーニョ前監督の下前シーズンに3冠を達成するも、翌年は低迷。その切り札としてパッツィーニやラノッキアと共に、僅かイタリア在籍半年でビッグクラブ移籍を果たします。
③エースキラーとして躍動
日本代表としてはプロ初年度の2008年に岡田監督により初招集。当時の日本の左サイドバックは駒野が定着していたものの、彼からレギュラーを奪取し右サイドの内田と共に新世代の象徴となります。
ただ北京オリンピックでの惨敗やA代表でもチームが勝てない状況等逆境が続くものの、迎えた2010年のW杯では後にチームメイトにもなるカメルーンのエースエトーを完封。注目を浴びると、続くオランダ戦では途中出場したエリアに仕事をさせずエースキラーとして躍動し、前述したチェゼーナ移籍に繋がっていきます。
またその底抜けに明るい性格やポジティブな思考は当時から見られており、本田や内田等やや癖のある選手とも打ち解けており、コミュニケーション面でもチームを支えることに。
その日本人としては特異な才能は、ビッククラブに移籍し徐々に代表としても中心選手になるにつれて更に発揮される事となります。
では
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