今回はアル・イテファク入団が決まったジョーダン・ヘンダーソン選手について書いていきます。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目はサンダーランド~リヴァプール(2008~2012)時代です。
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①誰よりも走り名門へ
ヘンダーソン選手はサンダーランドの下部組織に入団するも線が細くプロでは苦しいと評されていました。しかしトップチームの当時のロイ・キーン監督に特にメンタル面を認められ昇格すると、闘将の下で力を磨きコベントリーのローン移籍を通して彼が辞任した後の2008年にトップチームデビューを果たします。
そして翌シーズンからはその豊富な運動量と献身性を武器にレギュラーとしてプレー。
2シーズンの間誰よりも走り素晴らしいプレーを披露すると、2011年にイングランドの名門リヴァプールに2000万£で移籍。
そのキャプテンシーやよく似たプレースタイルから当時クラブのレジェンドであったジェラードの後釜として大きな期待を寄せられました。
②一度は戦力外通告を受けるも不屈の精神で
しかし当時のチームはベニテス監督以後中位に低迷している最中で、さらにヘンダーソン選手自身もレギュラーとしてプレーするもサンダーランド時代のような溌溂なプレーを見せられず、加入後のシーズンは満足する結果を得られませんでした。
そして翌シーズンスウォンジーで結果を残していたロジャーズ監督が就任すると、戦力外通告を受ける事に。デンプシー獲得の補填としてフルハムへの移籍を進められるもののヘンダーソン選手は残留を選択し、序列が低い状況でシーズンをスタートすることとなります。
しかし同ポジションのライバルであり監督の秘蔵っ子とも言えたアレンの負傷離脱もあり徐々に出場機会を得ると、中盤以降にはレギュラーとしてプレー。
戦力外を一度は通告されるものの不屈の精神で見事に監督の前評判を覆し、主力として返り咲く事となりました。
③A代表にも上り詰める
ヘンダーソン選手は10代の時はそれ程評価されておらず、アンダー先代の出場は僅かでした。
しかしサンダーランドやリヴァプールでの活躍もありU-21代表に招集されるようになると、2010年のフランス戦でA代表デビュー。
するとユーロ2012には負傷したランパードの代役としてイングランド代表に選出。
本大会では流石にレギュラーは奪えず途中出場に留まり、チームも過渡期に差し掛かっていた為目立った活躍は出来ませんでしたが、貴重な経験を積んでいくこととなりました。
名門のレギュラー、さらにはA代表にも定着しつつあったヘンダーソン選手。そして彼のサッカー人生を変える名将と出会うこととなるのでした。
では
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