きちのうすめ雑記

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フランク・リベリー 前編~フランス代表の新たな希望に~【特集】

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今回は現役引退が発表されたフランク・リベリー選手について書いていきたいと思います。

 

1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はブローニュ~マルセイユ(2000~2007)時代です。

Getty Images

①長い下積み時代

リベリー選手は13歳の時にリールの下部組織に入団。非常に高いサッカーセンスを見せつけ監督の評価は高かったものの学業の成績不振の為家に送り返され、トップチームデビューとはなりませんでした。

その後地元のブローニュでデビューし、2002年にはオリンピック・アレスに所属するもクラブは財政破綻スタッド・ブレスト29に所属するまでは父親と共に建設現場で働くこととなりました。また当時リーグアンのギャンガンのトライアルに落選する等苦い経験をすることとなりました。

しかしそんな長い下積み時代のキャリアに追い風が吹いたのは2004年のメスへの移籍。前述したギャンガンと同様当時リーグアンに属していたメスで、リベリー選手は月間MVPを獲得する等大活躍。ただ首脳陣と対立した為僅か半年でトルコのガラタサライに半ば追放される形で移籍。それでも新天地でもインパクトを残したリベリー選手は名門からオファーを受ける事となります。

 

②名門で本格ブレイク

オリンピック・マルセイユ。フランス国内で有数の名門クラブに招かれたリベリーはその才能を存分に発揮します。ドログバ後ストライカー不足に陥ったチームの崩しの切り札として躍進。左ウイングだけではなく、ニアングが左ウイングに回った際にはインサイドハーフとしてプレーする等、ドリブル精度だけではなくパスや判断力などでも違いを見せつけます。

結局そのシーズンではチームは5位に終わるも、自身はリーグ戦6ゴールを挙げUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でも活躍する等欧州においてもインパクトを残すこととなります。

 

③フランス代表の新たな希望に

そしてその活躍は当時フランス代表のドメネク監督の目に留まり、2006年のメキシコ戦でA代表デビューを果たします。

さらに2006年W杯のメンバーに選出されると、ジダン、アンリ等歴戦の猛者と共にアタッキングユニットを形成。グループリーグではチームも中々ギアを上げれず、自身も周囲との連携が合わない等苦しみますが、決勝トーナメント1回戦のスペイン戦では貴重な同点ゴールをマークし逆転勝利の足掛かりを作ると、以降ではサイド突破の切り札として躍進。

決勝ではイタリアに惜しくも敗れ準優勝に終わるも、この大会でジダンが引退。この高いで特大のインパクトを残したリベリー選手はフランス代表の新たな希望として取り上げられることとなります。

kichitan.hatenablog.com

 

底知れぬ明るさと、事故により額から右頬にかけてできた傷を「父との絆」として消すことなく残すその人間臭さ溢れる性格。そして無所属状態から僅か数年でフランス代表まで上り詰めたそのシンデレラストーリーリベリー選手はフランスの希望としてジダン後の代表を支える立場になっていくのでした。

 

では

 

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