今回はワールドカップ予選ヒストリーを書いていきたいと思います。
2回目は「ジョホールバルの歓喜」です。
主な選手&布陣
①ミス連発で窮地に
1993年の「ドーハの悲劇」の翌年、ファルカン監督を迎え入れ4年後のW杯出場を目指し始動した日本代表でしたが、「コミュニケーション不足」が原因(どこかで聞いた覚えが、、、)で1年にも満たない期間で解任されました。
次に指揮をとったのは横浜フリューゲルスで「ゾーンプレス(ゾーナル・プレッシング)」を駆使して、チームを強豪クラブに押し上げた加茂監督でした。
当初はゾーンプレスが見事にハマり強豪相手にもある程度戦えることを証明しましたが、アジアのライバルのほとんどが行う「中盤を省略したロングボール戦術」には相性が悪く、勝ち負けを繰り返す不安定な戦いを繰り広げていました。
そしてアジア1次予選は無事通過するも、最終予選では大苦戦し初戦は勝利を収めるもUAEにスコアレスドロー、韓国に逆転負け、カザフスタンにドローとなり、加茂監督は更迭されヘッドコーチであった岡田監督が指揮をとることになりました。
②第3代表決定戦へ
しかし岡田監督が就任した初戦のウズベキスタン戦は敗退直前の土壇場で引き分けに持ち込みますが、UAEにも追いつかれ2戦未勝利となり、自力による2位からのプレーオフでの最終予選通過が消滅すると、「ドーハの悲劇」では無かった日本のサポーターの暴動も起こりうる事態に陥ります。
しかしそこから底力を見せた日本は、予選突破が既に決まっていた韓国に勝利すると最終戦のカザフスタン戦でも快勝をあげ勝ち点を伸ばせなかったUAEを抜き、第3代表決定戦への出場権を得ることとなりました。
運命の第3代表決定戦の相手は「ペルシアン・タワー」アリ・ダエイや若手ドリブラーであるマハダビキアを要する強豪イラン。試合は上記の布陣で挑んだ日本が前半に中田英のスルーパスに反応した中山がゴールを決め先制しますが、後半立ち上がりにアジジに同点のゴールを奪われるとアリ・ダエイのヘディングシュートで逆転ゴールを奪います。
追い込まれた日本は城、呂比須を中山、三浦和と交代し3バックにすると、その交代が功を奏し中田英のクロスを城が決め同点に。試合はこのまま決着は付かずゴールデンゴール方式となった延長戦に突入します。
そして延長戦、岡田監督は「温存していた」切り札岡野を投入。スピード溢れる「野人」は前掛かりの上疲れが残るイラン守備陣を切り裂き続けますがフィニッシュの精度に欠けゴールを割れません。対するイランもダエイのシュートミスもありお互い決定機を生かせずこのままPK戦かと思われた延長後半13分、中田英が放ったシュートのこぼれ球を岡野が詰め劇的な決勝点を挙げます。
この勝利によりW杯初出場を果たすこととなった日本は、フランス大会では全敗で大会を後にしますが、4年後の日韓W杯では見事決勝トーナメント進出を果たし世界と渡り合えると証明しました。
今でこそ出場チーム枠増加もあり「当たり前」となりつつあるW杯出場。しかしそれに至る道は非常に険しかったことも忘れてはいけませんね。
では
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