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藤川球児投手 引退〜不屈の精神〜【特集】

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ついにこの時が、、、。阪神タイガーズの藤川球児投手が今シーズン限りの引退を表明しました。

 

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出典:スポニチ sponichi annex

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①球界を代表するクローザー

9月2日現在 日米通算

806試合 61勝 39敗 164H 245S 1247奪三振

と素晴らしい成績を残し、最多セーブ2回、最優秀中継ぎ2回、9回のオールスター出場の個人賞、チームでは2003年、2005年にセリーグ優勝、代表では2006、2009のWBCの連覇に貢献と球界のレジェンドとも言える存在で、昨シーズンは不調のドリスに変わり守護神に返り咲き16Sを上げ、チームのCS出場に大きく貢献しました。

しかし今シーズンは早々に矢野監督から守護神に任命されるものの調整が遅れオープン戦、練習試合共に不調。不安を残した開幕戦以降もストレートの痛打が目立ち一度登録抹消。最短で復帰しますがやはりストレートの威力は戻らず再びコンディション不良で抹消。調整を続けていた中での引退宣言でした。酷使を続けた右肩がもはや限界だったとのことです。

 

②不屈の精神

藤川投手を一言で表すと「不屈の精神」の持ち主です。1998年ドラフト1位で阪神に入団。その名前のインパクトもあり多大な期待をかけられましたが先発では鳴かず飛ばず、2003年には怪我もあり戦力外通告を受けかけるまで芽が出ませんでした。

しかし2004年「火の玉ストレート」を引っ提げ、中継ぎに転向すると、後半戦に素晴らしい投球を見せ一軍に定着します。その後の活躍は言うまでもなく2012年まで阪神に大きく貢献しました。

ただメジャーでは怪我に苦しみ帰国することになったのですが、その先は阪神ではなく独立リーグの四国IL高知。文字通り一からのスタートでしたが、そこで圧倒的な投球を見せ、2015年阪神に復帰。先発転向を試みますが失敗、中継ぎに再転向後はビハインドからセットアッパーまで幅広くこなしました。

二度も「通用せず」の烙印を押されながらも復活を果たした藤川投手の「不屈の精神」には頭が下がります。

 

③潔い幕引き

しかし長年の酷使の影響や怪我もたたり、今シーズン限りでの引退が発表されました。大記録である日米通算250Sまであと5と迫っていますが、現守護神のスアレス投手の状態、藤川投手の責任感の強い性格などを考えると正直困難であると思います。

ただ幾度となく立ち上がってきた藤川投手。後半戦是非とも復帰してまたあの「火の玉ストレート」を見せて欲しいです。

 

長い間お疲れさまでした。

では