今回は現役引退を表明した松井大輔選手について書いていきます。
経歴
松井選手は2000年に鹿児島実業高校から京都パープルサンガに加入。1年目から多くの試合に出場し活躍し2002年の天皇杯優勝に貢献するも、在籍中にJ2に2度降格する等チームは安定した成績を残せませんでした。
そして2004年にフランス2部のル・マンに加入。当時フランスに渡った選手は廣山選手に次いで2人目と珍しい移籍となりましたが、いきなり中心選手として活躍。スタートダッシュに失敗したチームを一気に浮上させて結果2位でフィニッシュし、チームの昇格に大きな貢献を果たしました。
そして翌シーズンは一時期2位に位置した「ル・マン旋風」の中心選手として活躍。自身もチーム史上初である月間MVPを受賞しリーグ3位の8アシストを記録する等、目覚ましい活躍を見せます。(最終順位は11位でした。)
その後も怪我もあったものの安定した活躍を見せ、その技術でファンを熱狂させチームを4シーズン連続の残留に導きますが、その功績を認められ2008-2009シーズンにフリーで名門サンテティエンヌに移籍します。
しかしサンテティエンヌでは出場機会には恵まれず、翌シーズングルノーブルに移籍するもチームは低迷。自身もクラブ状況に巻き込まれる形で毎年所属クラブを変える事になってしまいロシア、ブルガリア、ポーランドと渡り歩くことになります。
そして2014年に当時J2だったジュビロ磐田に移籍し日本に帰るも中々レギュラーを奪うことが出来ずに、4シーズン過ごした後にポーランド、横浜FC、ベトナムと活躍の場を移す事に。
2021年にはY.S.C.C.横浜フットサルに加入すると、翌年にはサッカーチームに加入する二刀流に挑戦。そして2024年2月に自身のインスタライブにて引退を発表しました。
日本代表では2010年W杯に出場。自慢の攻撃性能を一時期封じて守備に奔走する献身性を見せチームのベスト16進出に大きく貢献します。
①極上のテクニックと独創的なドリブル
松井選手の特長は「極上のテクニックと独創的なドリブル」です。
スピードやフィジカルでゴリ押すのではなく高い技術と体の重心移動で躱すドリブルが得意で、更にボールを常に自身の間に置くので相手の逆を突いての突破を可能としています。
さらにドリブル以外も独創性溢れたパスや意表を突くシュートも兼ね備え、歴代日本サッカー選手の中で最も「ファンタジスタ」という言葉が似合う選手と言えます。
②ル・マンの太陽
そのプレーは多くのファンを魅了しましたが、特に際立っていたのは「ル・マンの太陽」と呼ばれたフランス時代で、フィジカル色が非常に強いリーグの中で異彩を放ち、数々の猛者をドリブルで幻惑していました。
その中でも彼の技術の結晶と言えるのは2007-2008シーズンのモナコ戦で、カウンターから自身でゴール付近まで持ち込むと、サイドに展開。そのままペナルティエリアに侵入し折り返しを芸術的なバックヒールで合わせてゴールを決めます。
この何とも美しいゴールは月間ベストゴールに選ばれ、更にリーグアンのシーズンベスト5ゴールに選ばれる事になり、フランス中に自身の名を轟かせました。
③お茶目さ全開の引退発表
その後は選手としてだけでなく多くのメディアに姿を見せることになりますが、そこで見せたのはそのトーク力の高さ。
場を盛り上げるお茶目さを見せるだけでなく、周りに忖度せずはっきりコメントをする等、予想外の姿を見せてくれることに。さらに引退発表も多くのアスリートや元チームメイト等が参加するインスタライブで行い、事前に通知していなかった(サプライズとしては予告)と異例ずくしであり、多くのファンを驚かせました。
今後は引退試合の開催や子供たちへの指導などを示唆しており、引退後の活躍も非常に楽しみな所で、日本サッカーを盛り上げるために頑張って欲しいです。
多くの魅力的なプレーを披露してくれた松井選手。現役生活、本当にお疲れさまでした。
では
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