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チアゴ・シウバ 前編~瞬く間に中心選手に~【特集改訂版】

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今回はチェルシー所属のチアゴ・シウバ選手について書いていきます。


1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はRSフチボウ~ACミラン(2002~2010)時代です。

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①初の欧州挑戦は苦しいものに

チアゴ・シウバ選手はフルミネンセのユースチームに所属後、RSフチボウでプロデビュー。その後ジュベントゥージに移籍し、様々なポジションでプレーセンターバック固定されるようになります。

そしてその才能は欧州でも知れ渡るようになり2004年にFCポルトに移籍。しかしポルトではトップチームに上がる事が出来ず、翌年にはロシアのディナモ・モスクワに移籍。

そこでも結核を患い引退寸前まで追い込まれる等、初の欧州移籍は苦しいものとなりました。翌年にはフルミネンセに戻ることとなり、ブラジルでキャリアの出直しを図ります。

 

②瞬く間に中心選手に

すると復帰したフルミネンセチアゴ・シウバ選手は息を吹き返し中心選手としてプレー。コパ・ド・ブラジルでは初優勝を果たし、コパ・リベルタドーレスでは決勝まで進む等(決勝ではLDUキトに敗れます。)活躍を果たします。

そして2009年1月に1000万€でイタリアのACミランに移籍。加入後はEU圏外枠に空きがなく半年は出場機会はなかったもののその実力は高く評価されていたようで、同胞のレオナルド監督の下、翌シーズンの開幕戦ではネスタとコンビを組みいきなりレギュラーとしてプレー。

前シーズンにバンディエラマルディーニが引退、さらにカカのレアルマドリード移籍や主力の高齢化。そしてアンチェロッティ監督が退任し転換期を迎えたミランの象徴として瞬く間に中心選手になります。

特にそのスピードは目を見張るものがあり、様々な快速アタッカーを封殺しいつしかセリエA最高のセンターバックと評される事になります。

ただ当時はインテルがリーグを支配しておりタイトル獲得にはならずこのシーズンは無冠に。しかし翌シーズンカリアリを躍進させたアッレグリ監督が就任し、彼のキャリアは大きく好転することになります。

 

③メンバーには選ばれるものの

チアゴ・シウバ選手がセレソンに選ばれたのは2008年。当時はルッシオやファン、アレックスが中心選手となっており、中々出場機会を得ることは出来ませんでした。

それでも北京オリンピックではオーバーエイジ枠として出場し銅メダルを獲得し経験を積むと、2010年W杯に招集される事となります。

しかし本選ではファン、ルッシオがレギュラーで起用され、ルイゾンが第3センターバックとして待機する等選手層は厚く出場は無し。

自国で行われる2014年W杯の為に力を磨くこととなります。

 

では

 

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