きちのうすめ雑記

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遠藤保仁~チームの心臓~【サッカー】

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今回は今シーズン限りの現役引退を表明した遠藤保仁選手について書いていきます。

Getty Images

経歴

遠藤選手は1998年に横浜フリューゲルスへ加入すると、バルセロナでも指揮を執ったレシャック監督にその才能を見出され1年目からプロデビュー。順調なスタートを切りますが、同年限りでクラブは消滅京都パープルサンガに移籍します。

京都でもレギュラーとしてプレーするも2000年に降格。2001年にガンバ大阪に移籍しますが、2002年に西野監督が就任すると司令塔としてその攻撃的なスタイルの中心選手として活躍。2005年にはチーム初タイトルとなるJリーグ優勝に大きく貢献します。

その後も中盤に君臨しチーム黄金期の中心人物としてプレー。リーグ優勝2回、ナビスコカップ2回、天皇杯4回、AFCチャンピオンズリーグ1回等数々のタイトル獲得に貢献。2020年にはJ1史上最多となる632試合に出場しました。

しかし出場機会の減少もあり同年10月にジュビロ磐田に移籍。そして2023年にクラブのJ1昇格を見届け、現役引退することになりました。

代表には2002年に初招集され2006年、2010年、2014年のW杯に選出。特に2010年W杯では当時の岡田監督に「チームの心臓」と評され絶大な存在感を示しました。

 

①高いキック精度を生かした卓越したゲームメイク

遠藤選手の特長は「高いキック精度を生かした卓越したゲームメイク」です。右足から繰り出される長短のパスはいずれも精度が高く受け手に優しいものです。またそのキックはセットプレーでも生かされており、コーナーキックでのアシストは勿論の事、フリーキックでの得点は中村選手に次ぐ17得点を記録しています。

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さらに広い視野と高い判断力を持ち、ボールを的確なタイミングで最適なスペースに送り込む事で攻撃にリズムを与え、更に豊富な運動量と的確なポジショニングで様々な場所や局面に顔を出すことが出来るので相手にとってはたまったものではありません。

 

②歴代最多の出場記録

ただ個人的に何よりの武器だと思うのは「怪我をしないこと」で、プロに入ってから出場試合数が20を切ったのはルーキーイヤーのみで、さらに殆どの試合でスタメンでフル出場しています。

そして積み重ねたのはJ1歴代最多とのなる672試合の試合出場、これはフィールドプレイヤーでは2位の中澤選手に79試合も差を付ける記録(ほぼ3シーズン分)であり、運動量やプレスが厳しい中盤のプレーヤーとしては異常とも言える数字です。

また日本代表でも歴代最多の152試合のキャップ数を記録。アジアカップでは唯一の4大会連続出場を果たす等、長年サムライブルーで活躍。

時には酷使が囁かれる等出場過多な時期はあったものの、キャリアを脅かす致命的な怪我を負わなかったことも特筆される所で、そのタフさは本当にチーム、代表にとって頼もしい存在となっていました。

 

③長らく後継者が現れない程の高品質なプレー

遠藤選手の役割は同時期にプレーしていた中村選手や本田選手等と比べてしまうとどうしても地味で目立たない仕事が多いですが、日本代表でも長年後継者が出てこなかったことでその不在を嘆かれる等高品質なプレーを披露。

そんな中でも印象的なゴールは多く、クラブW杯のマンチェスターユナイテッド戦で名手ファン・デル・サールから奪ったコロコロPK、そして2010年W杯のデンマーク戦での追加点となる直接フリーキックは今でも語り草になっています。

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引退後はガンバ大阪のコーチに。ゆくゆくはその豊富な経験を生かしてトップチームで指揮を執る姿を見せてくれることを楽しみにしています。

 

では

 

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