今回は2023年7月18日に脳腫瘍の為死去した元阪神の横田慎太郎さんについて書いていきたいと思います。
①大きな可能性を感じた超変革の申し子
横田さんと言えばやはり選手時代の2016年の印象が強く残っています。
当時チームは実績のあるベテラン選手はいたものの若手の突き上げが少なく、新陳代謝が上手くいっていないチームでした。
そこで金本監督が新たに招聘されると、監督は「超変革」を掲げ実績の少ない若手選手を積極起用。そんな中オープン戦で真っ先に躍動したのは横田選手でした。
大きな体格からか放たれる打撃は打球速度が異常な程速く、強肩と俊足を生かした守備は別格とも言えるもので、そのポテンシャルを見込んだ金本監督から高い評価を得て自身もオープン戦から結果を残し20歳ながら開幕に2番センターでスタメンに抜擢。
1番に当時ルーキーであった高山選手との1,2番コンビは大きな可能性を感じ、正に超変革の申し子とも言える選手でした。
②引退試合でのノーバウンド送球
しかし1軍では当初は活躍を果たすものの壁に阻まれ徐々にトーンダウン。6月からは1軍から遠ざかる等、悔しいシーズンとなるものの、可能性を見せ翌年にも1軍キャンプでスタートします。
ただキャンプ途中で離脱するとそのまま姿を見る事が無くなり、再び姿を見せたのは9月に入ってから。その際に脳腫瘍と判断され闘病していたことが判明し2018年春を目途に復帰することを目標に育成契約&背番号を空けて球団は復帰を待つことになります。
しかしその後は視覚障害等後遺症にも苦しみ、懸命のリハビリもプロ野球選手の水準には達せず2019年オフに引退を表明。
それでも引退試合となったウエスタン・リーグ最終戦では8回途中から守備に就くとセンターに抜けた打球を捕球すると、本塁へノーバウンド送球。見事に捕殺に仕留め現役生活を終えました。
病気により輝きは僅かなものの、その野球に向けた取り組み方や真っすぐな姿勢は多くの選手やファンを惹きつけ影響を与えました。
③長年の闘病生活の末に
引退後は故郷の鹿児島で講演や執筆活動を行いつつ、球団OBの川藤さんが開いたチャンネルにプロデューサー名義で度々出演する等精力的に活動していましたが、2020年7月に脊髄に腫瘍があったことが判明し再び入院生活を送る事に。
それでも治療の末腫瘍が消え退院。その後は著書「奇跡のバックホーム」を発売、ドラマ化もされ自身の経験を伝え同じように苦しむ人たちに元気を与える活動をしていましたが、2022年に腫瘍が再々発。
その後長年の闘病生活を送っていましたが2023年7月18日に永眠することとなりました。
活躍した時間は僅かながらその野球へのひたむきな姿や復帰後のバックホーム、そして川藤部屋での素朴な振る舞いで私たちに勇気を与えてくれた横田さん、心からご冥福をお祈りいたします。
では