今回は2021シーズン限りでの現役引退を決めた桑原謙太朗投手について書いていきたいと思います。
①それほど期待されなかった入団
桑原投手は2007年のドラフト3位で奈良産業大学から横浜ベイスターズに入団。1年目は10先発を含む30試合に登板しプロ初完封(奇しくも阪神戦)を上げるなど結果を残していましたが、2年目に故障で出遅れると制球難もあり1軍での登板が激減し、僅か3年でオリックスに交換トレードで移籍することになります。
そのオリックスでも制球力に課題は改善されず、4年間で僅か22試合の登板に終わり、2014年オフには白仁田投手との交換トレードで阪神に入団します。しかし当初は正直期待値は低かったです。
当時の阪神は中継ぎ不足(安藤、福原投手は不安定で他に続くセットアッパー不在)で桑原投手はその穴埋めと考えられていましたが、目立った実績も無くさらに移籍1年目は開幕は1軍でスタートしたものの打ち込まれ早々に登録抹消。トレード相手であった白仁田投手がオリックスで活躍していたことから「大失敗のトレード」と評されることも少なくはありませんでした。2016年も1軍登板0で31歳という年齢もあり戦力外も考えられていたと思います。
②生き物のような魔球
しかし迎えた金本監督2年目の2017年、桑原投手はオープン戦で結果を残すと開幕1軍でスタートし、圧倒的な投球を披露。4月半ばにはマテオ投手と共にセットアッパーとして活躍します。19登板試合連続の無失点を含む67試合(チームトップ)に登板すると、43ホールドポイントをあげマテオ投手と共に最優秀中継ぎ投手に輝きチームの2位躍進に貢献すると、球団の歴代日本人選手最高となる昇給率463%(800万円→4500万円(推定))の契約を勝ち取ります。
翌2018年もマテオ投手が乱調する中、中継ぎ陣の軸として1年を通して活躍。能見、藤川投手と共に最下位に沈んだチームの中でも奮闘します。
彼の活躍を支えたのはナチュラルに変化するストレートと150㎞を超える「真っスラ」、そして「生き物のような変化」を見せ「魔球」と評されたスライダーです。特にスライダーは曲がり幅が大きくプロデビュー時から武器としていた球でしたが、制球が安定したことで所謂「ウィニングショット」に昇華することが出来、球界屈指のセットアッパーに押し上げた大きな武器となったと思います。
③短い期間ながらその輝きは色あせない
しかし2019年からは右肘のコンディション不良に悩まされ早々に登録抹消になりその後一軍復帰は出来ませんでした。また2020年も登板こそ増え復活が期待されましたが最後まであの圧倒的な球威は戻らず、2021年も開幕1軍で迎えるも5月に登録抹消。8月の練習試合での登板時限界を感じて引退を決断したとのことでした。
最終戦は古巣のオリックスとのウエスタンリーグ、共に引退する俊介選手と一緒にチームメイトに胴上げされました。
現役通算242試合の登板のうち2017、2018年の2年間で半分以上の129試合に登板する等活躍した時間は短いです。ただその2年間の輝きは未だに脳裏に焼き付き離れません。
指揮していた金本監督が大幅な給料アップを要請、さらにサプライズで岩崎投手が花束を贈呈する等誠実な人柄も愛された桑原投手。第二の人生(出来れば阪神関係)での活躍を期待しています。
では
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