今回は現役引退が発表されたフランク・リベリー選手について書いていきたいと思います。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
2回目はマルセイユ~バイエルン(2007~2013)時代です。
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①大型補強の一員としてドイツの名門へ
2006年W杯で一躍脚光を浴びたリベリー選手には数多くのビッグクラブからの関心を得ましたがマルセイユに残留。2006-2007シーズンは怪我に悩まされるものの出場すれば別格とも言える働きを見せ、ナスリと共にチームを2位に導く活躍を披露。
そして翌シーズン、チャンピオンズリーグ出場権を置き土産に、前シーズン4位に沈みトニ(←フィオレンティーナ)クローゼ(←ブレーメン)ゼ・ロベルト(←サントス)といった大型補強を敢行し復権を目指すドイツの名門バイエルン・ミュンヘンに移籍。
移籍金は3000万€と当時のクラブ史上最高金額と、彼にかかる期待は非常に大きかったと言えます。
②欧州を震撼させたロベリー
しかしリベリー選手はそのプレッシャーを振り払うかのように活躍を披露。その明るい性格や悪戯好きも相まって瞬く間にチームの中心人物となっていきます。(鬼軍曹ともいえるカーンに悪戯で水をぶっかける等怖い物知らずなところも)
そして1年目には大型補強も相まってリーグ、カップ戦の2冠を達成。ただ翌シーズンはジェコや長谷部等が在籍していたヴォルフスブルクに優勝を許し2位になる屈辱を味わいました。
ただ翌シーズンにはレアルマドリードで大型補強のあおりを受けたロッベンが加入すると、二人の世界屈指のドリブラーから行われるサイドアタックは国内だけではなく欧州をも震撼。いつしか二人はロベリーと呼ばれ相手守備陣に恐れられる存在となりました。
それでもお互い怪我が多く中々揃わない時期も多かったものの2009-2010シーズンはブンデスリーガ&カップ戦優勝&チャンピオンズリーグ準優勝と早速効果が出ます。
翌シーズンからはクロップ監督率いるドルトムントに2連覇を許すも、2012-2013シーズンにはハインケス監督の下ドルトムントを破り、見事ブンデスリーガ初の3冠達成に大きく貢献。キャリアのピークを最高のクラブで過ごすこととなります。
③一転代表の戦犯に
しかし代表では2006年以降、世代交代の遅れや監督の力量不足もあり苦しむことになります。
2008年のユーロではイタリア、オランダと組まれる厳しいグループに組み込まれると、勝ち点3が必須だった初戦のルーマニア戦で引き分けに終わると、2戦目のオランダ戦には1-4の大敗。リベリー選手は孤軍奮闘とも言える動きを見せるも、最終戦のイタリア戦では開始早々に負傷交代を強いられると、退場者が出たこともあり0-2の敗北。グループリーグ敗退を喫します。
続く2010年W杯でもチームの中心選手として挑むも、大会中に首脳陣に対する不信感が爆発。キャプテンエブラと共に練習ボイコットの首謀者とされ、さらに当時チームメイトだったグルキュフに所謂「いじめ行為」を行ったと報じられる等、内紛の中心人物とされグループリーグ敗退に終わった代表の戦犯の一人に。
また巻き返しを図ったユーロ2012でも中心選手として選ばれるも、準々決勝でスペインに完敗。さらにナスリ、メネズ、ベン・アルファ等次世代を担うはずの87年組が次々と問題を起こし最後までまとまりを欠くことに。
クラブでの充実した時間に対して、余りにも寂しい代表での活躍となるのでした。
では
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