きちのうすめ雑記

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W杯激闘の記録と記憶~2002 ブラジル代表~【サッカー】

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今回は過去のW杯での記録、そして記憶に残ったチームを書いていきます。


3回目は「2002 ブラジル代表」です。

Getty Images

主な選手&布陣 

 

①優勝争いをするレベルには

1998W杯後から監督に就任したルシェンブルゴ監督ですが1999年のコパアメリカをピークに南米予選では大苦戦。更にスキャンダルにより解任の憂き目に合うと、次に務めたレオン監督もチームを立て直すことが出来ずに2001年のコンフィデネーションカップ後に辞任、急遽スコラ―リ監督を招聘しました。

しかし低迷は止まらず2001年のコパアメリカでもベスト8で敗退しドン底状態に。その後もボリビアに敗北する等苦しむも、最終節に勝利しどうにか出場権を獲得しました。

大きな原因となったのはロナウドが相次ぐ怪我で長期離脱を余儀なくされたストライカー不足アモローゾ、ジャルデウ、ソニー・アンデルソン、エウベル等名だたるストライカーが定位置を狙うも状況を打開するには至らず、英雄ロマーリオの復帰等もあったものの最終的にはスコラ―リ監督との確執もあり選出外に。最終的には2002年のシーズン最終盤に復帰したロナウドに託すこととなりました。

正直当時のブラジル代表は本大会前では優勝争いをするレベルには無いとされ、前回王者フランス、ライバルであるアルゼンチンが優勝候補最右翼とされていました。

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②3R

そんな中の大会初戦。チームは先制されながらもロナウドリバウドのゴールで逆転勝ち、やや低調な内容ながらも勝ち点を得ることとなります。しかし2戦目の中国戦では一挙4ゴールを挙げ快勝。そして3戦目のコスタリカ戦でも5得点を挙げ開幕前までの得点力不足はどこへやら、圧倒的とも言える破壊力を見せます。

その原動力は「3R」と呼ばれる3人。キャリアを左右する大怪我をしながらも見事に回復、前回大会の屈辱を晴らすべく躍動するロナウドバルセロナで一時代を築き、1999年にはバロンドールを獲得していたリバウド、そして若きファンタジスタロナウジーニョRを頭文字にする3人のアタッキングトリオは見事な連携を披露し大会を席巻。ロベルト・カルロスカフーの両ウイングバックを絡めた攻撃は破壊的な威力を誇りました。

そして決勝トーナメント1回戦でベルギーをリバウドロナウドのゴールで一蹴。準決勝のイングランド戦ではフリーキックを直接決めたロナウジーニョが退場するというアクシデントに見舞われながらも、3バックを中心とした守備で耐えきり勝利します。

準決勝はグループリーグの再戦となったトルコ戦。大会を通して成長してきたチームでしたがスコア以上の力の差を見せつけ勝利、見事決勝進出を果たします。

kichitan.hatenablog.com

 

③母国に5度目の栄冠をもたらす

決勝の相手はカーンの驚異的なセーブで幾度となくピンチを防ぎ、決勝まで僅か1失点の堅守を誇ったドイツ代表。大黒柱に成長したバラックの不在は大きいものの、ブレイクしたクローゼを生かすサイドアタックは驚異的でした。

試合はブラジルが押す展開になりますが、立ちはだかったのはやはりカーン、スーパーセーブで決定機を防ぎます。そしてドイツも攻勢に出るものの、リバウドのシュートをカーンが弾ききれずにロナウドが押し込み均衡が崩れると、その後もロナウドゴールを挙げ2点差に。そのまま試合は終了しブラジルが優勝を果たすこととなります。

ロナウドは今大会8ゴールの大暴れ。大五郎カット等話題も振りまきながらも前回大会の雪辱を晴らし母国に5度目の栄冠をもたらし、大会後にはバロンドールを受賞します。

 

この大会はブラジルらしくない3バックによる堅守、そしてボランチもサポート役が主な仕事となっており戦いぶりは堅実と言えます。

しかし日本の地で最も輝いたカナリア軍団は、正に最強のブラジルそのもので、歴史に残るチームであることは間違いないでしょう。

 

では

 

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