今回はフランクフルト所属の長谷部誠選手について書いていきたいと思います。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
2回目はヴォルフスブルク~フランクフルト前期(2009~2016)時代です。
①本職へのこだわりと移籍志願
ヴォルフスブルクで自身初のタイトルを獲得した長谷部選手ですが、そのユーティリティー性が悪い方向に向かっていきます。
ボランチ起用が減り右サイドバック、右サイドハーフと毎回のように起用法が変わり所謂便利屋に。長谷部選手も難なくこなせているのでチーム的には問題は無かったものの代表でもボランチで不動の地位を築いていた為、徐々に本職への拘りが強くなってきました。(2011年にはGKも臨時ながらこなしていました。)
そして2012-2013シーズン前にはボランチでの出場を求めて移籍を志願。結局移籍は成立されず残留するもマガト監督に干されることとなり、リーグ戦初出場が彼の解任後と苦しいシーズンとなりました。
それでもボランチでの起用は殆ど無く翌シーズンには再び移籍を直訴。ニュルンベルクへ活躍の舞台を移すことになります。
②2部降格と運命を大きく変えた出会い
そんな中開幕した2013-2014シーズン、チームは開幕から勝利が無く長谷部選手への期待も大きなものでした。しかしボランチとしてレギュラーで出場するもチームの調子は一向に上向かず、自身も1月に右ひざを痛め長期離脱。最終戦で復帰を果たすもののチームは2部降格の憂き目に遭います。
その後同じブンデスリーガ1部のフランクフルトに移籍。1年目はシャーフ監督の元ボランチとして活躍、チームを9位に導く活躍を見せるものの、2年目からにフェー監督に交代すると再びサイドバックでの起用が増えチームも低迷。
フェー監督は3月に解任されロベルト・コバチ監督が就任し、自身もボランチ起用されチームも浮上することになります。
そしてこのコバチ監督との出会いが彼の運命を大きく変えることとなります。
③チームのキャプテンとして
一方代表では2010年のW杯メンバーに選出。しかもゲームキャプテンとして全試合に出場しチームのベスト16進出に大きく貢献します。
その後就任したザッケローニ監督から正式にキャプテンを任され、2011年アジアカップでは全6試合に出場し2大会ぶりの優勝に大きく貢献。その後も日本代表での地位を不動のものとしていきます。
しかし2014年W杯は前述した怪我によりほぼぶっつけ本番で本大会に挑むことに。全試合スタメン出場を果たすことになるものの最後までらしさは見られず、他選手も問題を抱えており不甲斐ない戦いに終わりグループリーグ敗退に終わります。
代表では絶対的な地位を築いていたものの、クラブでは便利屋として扱われていた長谷部選手。しかしここからクラブレベルでも注目を上げる活躍を見せていきます。
では
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