今回はワールドカップ予選ヒストリーを日本代表中心に書いていきたいと思います。
3回目は「2014年 ブラジルW杯」です。
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主な布陣
①「世界で勝つ」ために
2010年W杯で自国開催以外で初のベスト16に進出した日本代表ですが、その守備を固める「弱者」のスタイルを取らざるを得ない状況はそれ以上(ベスト8)を狙うにおいては苦しいと言わざるを得ませんでした。
そして次の代表監督に選ばれたのはウディネーゼで頭角を現しミランでセリエA優勝、インテル、ラツィオ、トリノ、ユベントス等名門クラブで数多くの試合を指揮したアルベルト・ザッケローニ監督を招聘。歴代屈指の実績を誇る監督の就任は当時多くの期待を集めました。
実際ザックジャパンは代表初試合でのアルゼンチン戦で代表史上初の勝利を挙げるなど評判通りの采配を見せると、2011年のアジアカップでは苦しみながらも優勝。準決勝での監督との死闘、そして決勝での李の劇的な決勝点等記憶にも残る大会となりました。
そしてパスワークを重視した攻撃的なサッカーは魅力的であり、吉田、香川等が徐々に定着していくなど将来の見通しも明るいままW杯アジア予選を迎えます。
②危なげない戦いで
そして始まったアジア3次予選。朝鮮民主主義人民共和国、ウズベキスタン。タジキスタンと同居したグループで4戦目で2位以内のグループ突破を果たしますが、最後2戦は連敗で終えやや不安を残しました。
そして始まった最終予選。オーストラリアと同居するグループに組み込まれた日本ですが、6月の3連戦を2勝1分で終えると、その後も順調に勝利を重ねグループリーグ首位を走ると、やや終盤はもたついたものの7節のオーストラリア戦で本田が終了間際にPKを決め5大会連続のW杯出場を決めます。
予選を通じて終始戦い方は安定しており、危なげない状況でW杯出場を果たしました。
③最も世界レベルに近づいた代表
正直この時点の日本代表は最も「世界」レベルに近づいていた時期であったと思います。本田、香川、長友、内田、長谷部、岡崎等中心選手はキャリアのピークに差し掛かり、クラブレベルでもハイパフォーマンスを見せていました。さらにザッケローニ監督が攻撃を主軸に置いた戦術で、エンターテイメント性もあり自分達の戦いに自信が持てた時期であると思います。
しかし出場が決まってからの1年間で事態は徐々に悪化していきます。代表は無風が起こる一方、主力選手は怪我で離脱する選手や出場機会を失う選手が続出。しかし状況が変われども監督や選手達は勿論の事、世間でも「自分たちのサッカー」で勝てると妄信。親善試合で大量失点を喫するも十分修正出来るとして大会に臨むことになります。
ただそのツケは本大会で自分たちに見事に返ってくることになります。
では
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