今回は今季限りの現役引退が決定した松坂大輔投手について書いていきたいと思います。
①平成の怪物
彼の登場は余りにも衝撃的でした。150kmを超え正に唸っているストレート、そして切れ味抜群のスライダーで相手打者を次々と三振に取っている姿。「スター」ってこういう投手であるのだなと当時は思っていました。
更に甲子園でのPL学園高校戦で延長17回を投げ切る完投勝利。そして決勝の京都成章戦ではまさかのノーヒットノーランと圧倒的な投球で春夏制覇を果たしました。その偉業はいつしか彼を「平成の怪物」と呼ぶことになりました。
勿論当時のドラフトでは目玉として注目され、複数球団の指名が予想されました。結果日本ハム、横浜、西武が競合し、くじの結果西部に入団しました。そこからは正に「松坂フィーバー」が起こり、キャンプでは大盛り上がりで毎日のように報道される注目ぶりでした。しかしいくら凄い球を持っていても高卒でプロで通用するかはまだ未知数で、懐疑的な声も少なくはありませんでした。
しかし松坂投手はルーキーイヤーにとてつもないインパクトを残します。初登板時には当時の日本ハムの主軸であった片岡選手を155㎞のストレートで見事な三振を奪うなど大物ぶりを発揮しプロ初勝利。さらにイチロー選手との初対決で3三振を奪い試合後にはインタビューで「プロでやれる自信から確信に変わりました」と発言し各紙を賑わせました。そして高卒として臨んだルーキーイヤーに最多勝(45年ぶり)、新人王(33年ぶり)、ゴールデングラブ賞、ベストナイン(史上初)を獲得する等大活躍します。
さらにその後はデビューイヤーから3年連続最多勝、最優秀防御率2回、最多奪三振4回、沢村賞、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞7回と球界を代表する投手になりました。
そんな中特に記憶に残っているのは2006年のWBCでの決勝の投球で、強豪キューバ相手に粘りの投球を披露し、日本の初代王者に大きく貢献。自身もMVPを取るなど名実ともに日本を代表する投手となりました。
②メジャーと日本代表として
そして2006年オフ、約60億円でボストン・レッドソックスが独占交渉権を獲得。総額5,200万$で6年契約を結びメジャーリーグに挑戦します。
アメリカでも制球には苦しむもののルーキーイヤーに15勝&200奪三振を達成し、翌年には18勝を挙げその実力を証明しつつありました。
しかしWBC連覇&2大会連続の最優秀選手選出と最高の形で始まった2009年は怪我との戦いがありました。結局12試合&4勝にとどまると翌2010年も細かい離脱もありながらもローテを守りますが好不調の波が激しいシーズンを過ごしてしまいます。
その後は正に故障との戦いでした。2011年にはトミー・ジョン手術を受けますが調子は戻らずFAになると、メッツではリリーフを経験するなど復調の気配を伺わせます。
③最後まで投球は戻らず
しかし日本に復帰し3年12億円を大型契約を結んだソフトバンク時代は、度重なる怪我により僅か1軍で1試合の登板に終わると、2017年には中日に入団。6勝を挙げオールスターにも出場しました。ただ翌年はコンディション不良や自身の問題行動もあり僅か2試合の登板に終わりました。
度重なる怪我もあり戦力として計算出来ない状況に中日からの契約も満了し、そろそろ引退かと思ってはいましたが、2020年に古巣西武に復帰。しかし最後まで投球を見せることなく7月7日に引退を発表しました。
華々しいデビューから度重なる怪我との戦い、日米通算170勝は彼のポテンシャルからしたら物足りないものでしたが、大舞台での強さやそのスター性は本物で正に「平成の怪物」に相応しい投球を見せてくれました。
正直私は阪神の試合しか基本見ないです。しかし登板時には気になりついつい見てしまう、そういう選手であった松坂投手。今はしっかり体を休め、いつか球界に戻ってくれることを心から願っています。
では
カルビー2004 プロ野球チップス スターカード No.S-04 松坂大輔
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