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セルヒオ・ラモス 前編 ~親友と共に~【特集改訂版】

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今回は今シーズン限りのレアルマドリード退団が決まったセルヒオ・ラモス選手について書いていきたいと思います。

 

1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はセビージャ~レアルマドリード前期(2004~2008)時代です。

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kichitan.hatenablog.com

 

①セビージャのニュースター

セルヒオ・ラモス選手は8歳からセビージャの下部組織でプレーし、2004年にトップチームデビューを果たしました。そして2004-2005シーズンには瞬く間に右サイドバックのレギュラーに定着し、セビージャの「ニュースター」として当時台頭してきたヘスス・ナバスと共にスペインの未来を担う存在とみなされていました。

しかし僅か1年のプレーでスペインの10代選手としては当時の最高額である2700万€で「白い巨人レアルマドリードの移籍が決定。この移籍は両チームに大きな遺恨を残すことになり、その後の行動も相まって彼は未だにそのことを許されていません。

ただ彼の後釜に座ったのは「名手」ダニエウ・アウベス。セビージャの黄金期が彼の移籍と共に始まったのは皮肉な運命としか言いようがありません。

 

②10代で白い巨人の一員へ

10代で白い巨人に一員になったセルヒオ・ラモス選手ですが当時のチームは大きな転換期にありました。「銀河系軍団」に限界が見え、成績不振でぺレス会長が辞任することになりクラブは混乱に。監督も途中交代する等不安定な状況にありました。

しかしセルヒオ・ラモス選手はセンターバック、右サイドバック、時にはボランチと様々なポジションをこなしそのサッカーセンスを発揮。守備能力の高さは勿論のこと組み立ての質は非常に高く、次世代のDF像として台頭してきました。

結局そのシーズンは33試合に出場。翌シーズンもセンターバックを中心にプレーし、リーガ優勝に貢献。次のシーズンでもペペの加入で右サイドバックにポジションを移すも、リーガ連覇に大きく貢献しました。

ただ感情の制御が上手く出来ず「つまらない」カードを貰うこともしばしばで、精神的な未熟さから安定感には乏しかったです。

飛ぶ鳥を落とす勢いで成長を続けるセルヒオ・ラモス選手ですが、2007年8月、彼のキャリアを大きく変える悲しい事件が起こってしまいます。

 

③親友と共に

親友のプエルタ氏が試合中に倒れその後他界。彼の死はセルヒオ・ラモス選手にも大きなショックを与え、以後代表では彼が代表デビューした背番号である15を背負いプレーするようになります。

そして迎えたユーロ2008では右サイドバックのレギュラーとして攻守両面で活躍。スペインの優勝に大きく貢献すると、優勝時には彼の顔写真と「いつも一緒に」というメッセージが描かれたTシャツを着て祝いました。親友と共に勝ち取った大会であると言えます。

結果的に2008年はFIFAUEFAベストイレブンに選ばれるなど、期待の若手から真のワールドクラスへの道を歩んでいくことになります。

 

では

 

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