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リオネル・メッシ前編~別格の才能~【特集】

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今回はバロンドール受賞者であり、現在「世界最高」の選手であるリオネル・メッシ選手について書いていきたいと思います。

1回では書ききれない為、3回に分けて書いていきます。

1回目はデビュー(2004-2005)~ライカールト監督退任(2007-2008)時代までです。

 

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Getty Images

①別格の才能

メッシ選手はデビューから「別格の才能」を示し続けました。当時のクラブ最年少得点記録、2006-2007シーズンの「伝説の5人抜き」「神の手ゴール」など母国の英雄マラドーナに類似するゴールを決め一躍スターダムに躍り出ました。2006-2007シーズンからジュリ選手とのレギュラー争いに勝利しスタメンに定着します。

代表ではリケルメ選手が中心であった2006年ドイツW杯では控えとして出場するにとどまりました。(それでも代表でのW杯最年少出場、得点、アシストを決めました。)しかし2007年コパ・アメリカで準優勝、2008年北京オリンピックで金メダルを獲得し信頼を勝ち取ると、以降は代表でも不動の地位を築きます。

 

②頼れる兄貴達

メッシ選手を語る上で欠かせない選手の一人がロナウジーニョ選手です。当時世界最高の選手でありバルセロナの絶対的な「王様」でした。ロナウジーニョ選手はいたくメッシ選手を気に入っておりピッチでの相性が抜群でした。

またカンテラでの先輩であるプジョール選手やシャビ選手の存在も大きかったと思われます。「頼れる兄貴達」に支えられたことでもその才能が開花したきっかけであったと思います。

しかしロナウジーニョ選手は2005-2006シーズンを境にプレーが鈍化。「王様」をメッシ選手に譲る形になってしまいました。「時代の移り変わり」を感じる瞬間でした。

 

③超絶技巧と度重なる怪我

当時のメッシ選手のプレースタイルは「典型的なドリブラー」でした。

相手の体勢・読みの逆を突き、細かいタッチで相手を惑わせるドリブルは今よりややスピードに頼っていた部分が見えるものの既に世界最高レベルでした。

半面ボールを持ちすぎるあまりチームのリズムを崩してしまう場面が度々あり、独りよがりのプレーも多かった印象が強いです。ポジショニングも決して良くはなく無謀な場所から仕掛けカウンターの起点にされてしまうこともありました。

また最大の課題としては「怪我の多さ」でした。食生活の問題が大きかったと今では振り返られていますが、前述のような激しいタックルを受けやすいプレースタイルも要因の一つだと考えられます。結局2007-2008シーズンまでフルシーズン戦えたのは一度もありませんでした。

 

超絶技巧を持ちながら怪我のリスクも高い選手。そんなメッシ選手のキャリアを劇的に変える監督が2008年就任します。

 

では