きちのうすめ雑記

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セルヒオ・アグエロ 前編~ニューメッシ~【特集】

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今回は今シーズン限りのマンチェスターシティ退団が決まったセルヒオ・アグエロ選手について書いていきたいと思います。

 

1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はインデペンディエンテアトレティコ・マドリード(2005~2010)時代です。

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Getty Images

①ニューメッシ

アグエロ選手はアルゼンチンの名門インデペンディエンテで、2003年あのマラドーナ氏の記録を塗り替える15歳と35日でのトップチームデビューを飾ります。

そして2004-2005前期リーグで2得点を挙げ台頭すると、2005-2006シーズンからは主力として定着し、前後期合わせて18ゴールの大ブレイクを果たします。また後述するワールドユースの活躍も合わさって将来有望な選手として世界に認知されると、年齢が一つ上でありその年バルセロナでブレイクを果たしたメッシにあやかって「ニューメッシ」と呼ばれるようになりました。

kichitan.hatenablog.com

 

シーズンオフにはバイエルンバルセロナ等名門クラブ同士での大争奪戦が繰り広げられましたが、最終的に彼を射止めたのはアトレティコ・マドリードでした。今でこそ強豪クラブになっていますが当時は中位を彷徨っており、監督もコロコロ変わるような不安定な状態で、尚且つ財政難と非常に厳しい状況にありました。

しかしクラブはそんな状況でもクラブ史上最高額の2000万€でアグエロ選手を獲得。彼への期待がひしひしと伝わる移籍劇でした。

 

②ベストパートナー

当時クラブには「絶対的なエース」フェルナンド・トーレスが君臨していました。そんな中アグエロ選手は当初はベンチスタートが多かったものの次第に評価を高めると、彼とファンが考える「夢の2トップ」を組んでの躍進が期待されていました。

しかし当時高いスピードと技術を駆使したドリブルからのフィニッシュワークを得意としていたアグエロ選手とトーレスのプレースタイルは似通っていて(トーレスはよりフィジカル寄りです)、有機的につながる部分は数少なく得点が伸び悩むとリーグも7位に低迷します。そしてそのオフにはトーレスリヴァプールに移籍し、期待された2トップは機能しないまま終わります。しかし代わりに加入したある選手がアグエロ選手を大きく変えるきっかけになっていくこととなります。

ディエゴ・フォルランビジャレアルでゴールを量産していたストライカーの加入はアグエロ選手のストライカーとしての覚醒を促します。

2007-2008シーズンのリーグは35ゴール(アグエロ19ゴール、フォルラン16ゴール)

2008-2009シーズンのリーグは49ゴール(アグエロ17ゴール、フォルラン32ゴール)

2009-2010シーズンのリーグは30ゴール(アグエロ12ゴール、フォルラン18ゴール)

とリーガ屈指の「ベストパートナー」になり、アグエロ選手自身も飛び出しのタイミングやポジショニングに大きな改善が見られました。そして2009-2010シーズンには初のビッグタイトルであるUEFAヨーロッパリーグ優勝を達成します。

  

③アンダー世代での成功

代表では「アンダー世代での成功」が目に付きます。2005年FIFAワールドユース選手権ではメッシ、サバレタ、ガライ達と共に優勝を経験し、FIFA U-20ワールドカップではロメロ、バネガ、サラテ、アレハンドロ・ゴメス、ディ・マリア達と共にエースとして得点王&大会MVPに輝いています。

その後も2008年北京オリンピックではメッシ、リケルメマスチェラーノ達と共に金メダルを獲得しており、所謂アンダー世代では無類の実績を誇っています。

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クラブチームでの活躍もありフル代表でも2006年に初招集されてからは、コンスタントに招集されています。しかしメッシ、テベスイグアイン等ライバルは多く目立った活躍はこの時は出来ていませんでした。

さらに所属チーム自体は相変わらず不安定でチャンピオンズリーグ出場権もままならず、アグエロ選手は更なるステップを考え始めることとなります。

 

では

 

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