今回は欧州5大リーグで起こった偉業の軌跡を書いていきます。
1回目は「2006-2007 シュツットガルト」です。
主なフォーメーション
①選手放出と哲学の喪失
シュツットガルトは2000年代前半に「鬼教官」マガト監督のクラニィ、ヒルデブラント、ヒンケル等若手選手が台頭して2002-2003シーズンにはリーグ戦を2位で終え躍進を果たしていました。
しかしその後財政難により主力を放出せざるを得ない状況に陥ると、前述した選手の内残ったのはヒルデブラントのみ。さらにマガト監督がバイエルンに去った後は監督選びに苦心しており、ザマー監督やトラパットーニ監督等名だたる名将を呼ぶもチームの意思統一がなされていないままシーズンが進む事になり、2005-2006シーズンは9位でシーズンを終えました。
そんなシーズンの中途中就任したのはアルミン・フェー監督。下部リーグでの監督歴は長いもののブンデスリーガでの指揮歴は2002-2003シーズンのハンザ・ロストックのみ。当初は次の監督までのつなぎ役としての期待しかありませんでした。
②二人のメキシコ人プレイヤーと若手のブレイク
そんな中迎えた2006-2007シーズン、クラブは改善こそはされたものの財政的に余裕のない状況が続き、オフの補強は最小限に。また開幕3試合で2敗を喫する等スタートで躓き早くもフェー監督の解任話が浮上する等、決して良いスタートは切れませんでした。
しかしその状況を打開したのはマリオ・ゴメス、ユース出身のこの大型ストライカーは4節以降の10試合で8ゴールを挙げ見事チームの浮上の立役者に。
また長年チームを支えていたソルドが退団したアンカーに添えられたパルド、退団したヒンケルの後釜として迎え入れられたオソリオの二人のメキシコ人がチームに馴染み機能することになり攻守共に躍動。
フェー監督も中央を固める4-3-1-2システムを成熟させる等役割を果たし、チームは上位争いに食い込んでいきます。
③15シーズンぶりの優勝
それでもリーグはバイエルンが移籍したバラックの埋め合わせが出来ず低迷するも、攻撃サッカーを進化させたブレーメン、ノイアーを中心に堅守を誇っていたシャルケが上位陣を引っ張る様相となっていましたが、ブレーメンは選手層の薄さを露呈し首位戦線から脱落。代わりに首位に躍り出たシャルケも崩しの切り札であったローベンクランズが離脱すると徐々に失速します。
そんな中チームはゴメスの負傷というトラブルに見舞われたものの、3トップに切り替える判断が見事に功を奏して27節から8連勝を記録。33節に首位に浮上すると34節も見事勝利し15シーズンぶりの優勝を果たします。
この2試合でヒツルスベルガーが共に得点を挙げる等若手の台頭が目立ち(若き日のケディラもいました。)、デルピエール、タスキ(彼もユースから昇格した選手です。)、ヒルデブラントが君臨する守備陣も安定感抜群。攻守において大きな成長を見せたチームは勢いを持ったままマイスターシャーレを手に入れました。
しかし翌シーズンにヒルデブラントはバレンシアに移籍。2008-2009シーズンの3位進出に貢献したゴメスもバイエルンに移籍する等相次ぐ主力選手の不調や引き抜きにあい低迷。2度の降格を得てすっかりエレベータークラブ化してしまうも今シーズンは16節を終えて3位と大躍進。レバークーゼンが目立ってしまっているものの、ギラシが残留するとまだまだ可能性はあるだけにこのシーズンの再現あるか、注目です。
では
シュツットガルト 1992 ホーム 半袖 ユニフォーム 復刻モデル(正規品/メール便可)
|
シュツットガルト 1980 ホーム 半袖 ユニフォーム 復刻モデル(正規品/メール便可)
|