今回は自分が知っている範囲で、阪神タイガースヒストリーを書いていきたいと思います。
初回は「1995年」です。
46勝84敗 451得点536失点 6位
①低迷期に
私が初めてプロ野球を見始めたのは1995年。この年は当時小さかったながら今でもその光景が忘れられない阪神・淡路大震災が起こった年で、正直プロ野球どころではありませんでした。
特に神戸を本拠地とするオリックスは甚大となり、キャンプも厳しい状態に。それでも「がんばろうKOBE」をスローガンにチームは再活動し、同じ関西に拠点を持つ阪神・近鉄もそれに準じる形でシーズンを始めることとなりました。
当時の阪神は所謂「暗黒期」であり、中村監督の下、1992年に2位に入って以来2年連続で4位に沈んでいました。しかしオフに4年連続3割を記録したオマリー選手を「長打力が物足りない」「規律面に問題がある」という理由で解雇。(その後ヤクルトに移籍し、このシーズンにリーグMVPを受賞しています。)MLBで実績を残したグレン選手、長打力が魅力的なクールボー選手を獲得し、課題であった打力の強化を図りました。
投手陣は即戦力としてドラフト4位で川尻投手を、FAで山沖投手を獲得。後に主力となる田中秀太選手、他球団で花開く山村投手(近鉄・楽天)、北川選手(近鉄・オリックス)もこの年に獲得された選手です。
②投打共に振るわないシーズンに
ただシーズンが始まるといきなり開幕5連敗を喫すると、怪我から完全復活を果たした亀山選手がグレン選手と激突して負傷離脱。いきなり4月に大幅に負け越しを喫すると、5月6月は何とか持ち直し最下位から抜け出すも、7月には新庄選手の負傷離脱も重なり8連敗を喫し前半戦を終えると、中村監督は休養を言い渡されます。
後半は藤田二軍監督が代行するも低迷は続き、9月には再び最下位に転落。そのままシーズンを終えることとなりました。
この年は主砲として期待された石嶺選手が膝の不調により不振に陥り、得点、打率、本塁打、盗塁と野手記録がいずれもシーズン最下位と振るわず、だからと言って投手陣も藪、川尻投手は奮闘するもいずれも二桁敗戦。FAで獲得した山沖投手は一軍では1試合も投げることなく引退、そして前シーズン抑えとして定着した古溝投手も数字を落とす等投打共に振るわないシーズンとなりました。
③突然の現役引退宣言
しかし前述した川尻投手が期待通りの活躍、桧山選手の台頭、両助っ人が共に20本以上本塁打を記録する等、来年に向けての期待は多少なりともありました。
しかし怪我もあり不振を極めた1985年のV戦士であった真弓選手が退団(その後に引退)すると、藤田監督との確執や師と仰ぐ柏原純一コーチ解任で球団に不信感を募らせた新庄選手が、契約更改交渉後会見にて「野球に対するセンスがないって見切った」と突然の現役引退宣言。その後引退宣言を撤回するよう周りの説得に応じ新庄選手は発言を撤回するも、その騒動は後々の低迷を予感させるものとなるのでした。
では
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