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ジャンルイジ・ブッフォン 前編~華々しいデビューと代表での大きな壁~【特集】

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今回はパルマ所属のジャンルイジ・ブッフォン選手について書いていきたいと思います。

 

1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はパルマユベントス(1995~2006)時代です。

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Getty Images

①華々しいデビューと代表での大きな壁

ブッフォン選手は1995年に17歳の若さでセリエAデビュー。そのデビュー戦のACミラン戦ではジョージ・ウェア等ワールドクラスの選手のシュートを驚異的なセービングで0封すると、翌シーズンには正ゴールキーパーとしてカンナバーロテュラムと共に鉄壁の守備陣を形成し、黄金時代のパルマの最後尾を支えました。

そして華を開かせたのは1998-99シーズン、チームのコッパ・イタリア優勝、UEFAカップ優勝、イタリア・スーパーカップ優勝を果たすと、若くして世界有数のゴールキーパーとして名を馳せることになります。

しかしクラブレベルの成功とは裏腹に代表での定着は苦しみました。まずイタリアは当時GK王国であり、かなり鮮烈なポジション争いが展開されていました。

1998年のW杯ではマルディーニ監督が信頼を寄せたパリュウカが正守護神を務め自身は出場無しに終わると、2000年のユーロでは正守護神として迎える筈が直前の怪我で離脱することに(正守護神はトルド)。初の国際舞台は2002年日韓W杯まで持ち越されることとなります。

 

ゴールキーパー史上最高額でユベントス

その翌シーズンもパルマの正守護神として活躍しますが、オフにユベントスに同僚テュラムと共に当時のゴールキーパーとしては史上最高額の5230万€で加入。

移籍当時は周囲はその天文学的な移籍金に難を見せる人も少なくは無かったものの、加入直後からハイパフォーマンスを披露しクラブのスクデット獲得に貢献。翌2002ー2003シーズンはセリエA連覇&チャンピオンズリーグ決勝進出の立役者となると、2004年にはカンナバーロと再会し、パルマ時代と変わらない堅守を見せスクデット獲得に大きく貢献します。

ただ代表では2002年W杯では疑惑の判定もあり決勝トーナメント1回戦で韓国に敗れ、ユーロ2004では史上最強ともいえる布陣を要しながらも、全く攻撃陣が噛み合わず(トッティの出場停止もありました。)、後にチームメイトになるイブラヒモビッチに引導を渡される形で、グループリーグ敗退が決まるなど、自身のパフォーマンスは良かったものの悔しい結果が続きます。

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③イタリアを揺るがせた「カルチョ・スキャンダル」

そして迎えた2005-2006シーズンは開幕前に右肩を脱臼し、キャリア初の長期離脱を経験することになります。しかし復帰後はレギュラーに返り咲きチームもカペッロ監督の元圧倒的な力でセリエA連覇を果たしました。

しかし2006年5月にユベントス幹部を中心とした、審判を買収・脅迫し、自チームに有利な判定を行うよう指示する所謂「カルチョ・スキャンダル」が発覚しました。

その結果ユベントスは優勝剥奪&セリエB降格を言い渡され、他4クラブも処分を受けることとなります。

さらにセリエA自体のブランド力も急落し、オフに控えていたW杯に臨むイタリア代表にも派生。ブッフォン選手は勿論の事、チームや選手全員が針の筵になることに。

そんな批判が渦巻く異様な雰囲気の中、ブッフォン選手は正守護神としてドイツW杯を迎えることとなります。

 

では

 

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