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フース・ヒディンク監督引退~問題児も手懐ける人心掌握術~【サッカー】

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今回は監督業引退を表明したフース・ヒディンク氏について書いていきたいと思います。

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Getty Images

①問題児も手懐ける人心掌握術

ヒディンク監督は1987年にオランダのPSV監督に就任し1988年にはクラブ初となるトレブルを達成し一躍有名となりました。

私が初めて彼のチームを見たのは98年のW杯で、ユーロ96では内部分裂をしていたチームを自ら立て直し優勝候補に躍り出たもののチームは薄氷を踏む戦いを続けて、準決勝のベルカンプのゴールのみが印象に残るぐらいで余り気には留めませんでした。

しかし一躍有名になったのは日韓W杯でのベスト4で、韓国の開催国としての振る舞いは褒められたものではなかったものの(ラフプレーや審判買収疑惑等)、確実にヒディンク監督の手腕は発揮されていました。

そしてPSV復帰をすると、2004-2005シーズンにはファン・ボメル、コクー、パク・チソン等の選手を率いてチャンピオンズリーグベスト4に輝くと、2006年にはオーストラリア代表監督としてドイツW杯でグループリーグで日本と激突。日本代表ファンの方にはトラウマに残るような敗北を味わわせると、同大会優勝したイタリア代表を最後まで苦しませるなどらしい采配を披露します。

そして2006年にはロシア代表監督に就任。ユーロ2008の予選ではイングランド代表を蹴落として本選に進出。「新皇帝」アルシャービンを中心に20年ぶりのベスト4に導きます。

その後はオランダ代表やチェルシー等を率いるもいずれも短命に終わり先日監督業引退を表明しました。

 

ヒディンク・マジック

ヒディンク監督の特長は「ヒディンク・マジック」と呼ばれる程の長所を引き出す人心掌握術です。不良生徒や精神的に問題のある生徒がいる特殊学級を担当していた経験もあって、選手の心理状態を把握して心を掴むことに非常に長けています。

その手腕は特に2000年以降は代表戦で発揮され、韓国代表、オーストラリア代表、そしてロシア代表の躍進は間違いなくヒディンク監督の手腕によるものでしょう。

またパク・チソン(後にマンチェスターユナイテッドへ)、アルシャービン(後にアーセナルへ)等をビッククラブに移籍するきっかけにするなど選手の長所を引き出す術に長けています。対日本代表では日本が攻守に迷いが出たことで布陣が間延びしたことに気付き高さに長ける選手を次々と投入し、日本の守備を決壊させ逆転勝利に導いています。

 

③異なる文化と環境で結果を残し続ける高い順応性

また異なる文化と環境で結果を残し続ける高い順応性も凄かったと思います。代表監督はその国のサッカー文化や言語、そしてサッカーを取り巻く環境がそれぞれ違います。それがヨーロッパ、アジア等になるとまるで違うスポーツのように感じ戸惑う部分は多々あるでしょう。そんな中でもヒディンク監督は文化、環境を理解した上で結果を残す高い順応性を持っており、その能力はそうそう備わっているものではありません。

特に韓国、オーストラリア、ロシアは就任当時「サッカー弱小国」に分類されていたので、彼の功績は計り知れないと思います。(オーストラリアはその後アジア予選に参加しW杯連続出場を果たしています。)

 

巧みな人心掌握術と流れをよんだ思い切った采配で数々の「マジック」を生み出したヒディンク監督。本当にお疲れさまでした。

 

では

 

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