今回は自分が知っている範囲で、阪神タイガースヒストリーを書いていきたいと思います。
今回は「1999年」です。

55勝80敗0分 490得点585失点 6位
①2209日振りの首位に
長年Bクラスが続いていた阪神は1982年の安藤監督就任以来貫いていたOB監督を取り止め、前年までヤクルトの監督であった野村監督を招聘。データを重視するID野球で状況の打開を試みました。
前年度のドラフトでは1位で現阪神監督の藤川投手が入団するも、高卒であり野村監督は即戦力を求める事に。西武から佐々木選手を金銭トレードで獲得すると、メジャー通算76発のブロワーズ、同30発のジョンソンを獲得し打線強化を図りました。
そして野村カラーを押し出して迎えたシーズンは4月を5割で乗り切ると、5月は貯金を作り6月9日には中日と同率ながら1992年以来2209日振りの首位に立つことに。
特にジョンソン選手の働きは素晴らしく、5月だけで7本塁打を記録し首位浮上に大きく貢献。前半だけで19本塁打を記録し、前半戦快進撃の立役者になりました。
②監督と主力選手との確執が表面化
しかし後半戦はジョンソン選手が対策され当たりがピタリと止まると、貧打が目立つことに。7月にはオールスターゲームを挟んで9連敗を喫し5位に転落すると、次第に監督と主力選手との確執が表面化していきます。
元々折り合いが悪かった主砲の大豊選手はジョンソン選手に押し出される形でレギュラーから外される事に。それでもシーズン6本の代打本塁打を放つ等アピールを行うと、後半はレギュラーとして起用され、打率.341、18本塁打を記録。結果で見返す事に成功するも、翌年以降も波の大きさや同じポジションに補強を行われ、最後まで信頼される事はありませんでした。
そして2年目となるメイ投手との確執は深刻化し、「野村監督は俺を信用していない」としてマスコミに怪文書をばらまく始末に。その後退団が決定しますが、よりにもよって宿敵の巨人に移籍する等大きな遺恨を残す事となります。
結局9月11日から新庄選手の「明日も勝つ」発言から球団タイ記録の12連敗を喫し、最下位に転落。2年連続の最下位でシーズンを終えることとなりました。
③チーム唯一の二桁勝利
そんな中輝きを放ったのはドラフト3位ルーキーの福原投手。先発陣の最多勝利が6と伸び悩む中、リリーフにも関わらずチーム唯一の二桁勝利。チームには少ない速球派の投手として以降も重要な働きを見せることとなりました。
また田中秀太選手もその走力を生かしプロ初の100試合出場を達成。和田選手のセカンドを脅かす存在となりました。
野村監督初年度は監督のキャラもあり、何かとトラブルが頻発した年に。それでも一時的に首位に立つ等その手腕は確かだとされ、2年目の躍進が期待されたのでした。
では
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