今回は2024年9月18日に死去されたサルヴァトーレ・スキラッチさんについて書いていきます。
①90年W杯で得点王に
スキラッチさんは1982年当時セリエC2に所属していたメッシ―ナでプロデビュー。その後着実に実績を上げ、1988-1989シーズンには23ゴールを記録しセリエB得点王に輝きます。
すると翌年にはイタリア屈指の名門ユベントスに移籍し初年度から15ゴールを挙げる活躍。同シーズンのUEFAカップ優勝に大きく貢献しました。
そして行われた1990年イタリアW杯ではグループリーグ初戦のオーストリア戦で決勝ゴールを奪うと3戦目のチェコスロバキア戦、決勝トーナメント1回戦のウルグアイ戦、準々決勝のアイルランド戦、準決勝のアルゼンチン戦、そして3位決定戦のイングランド戦と、グループリーグ第2戦以外の全ての試合でゴールを決め見事に得点王に。
開幕前は全く無名の存在(当時のイタリア代表にはバッジョやヴィアッリ、セネーナ、マンチーニと凄いメンバーが揃っていました。)であった中の母国での活躍はまさしくセンセーショナルなものとなっていました。
②鮮烈だったJリーグでの活躍
しかしその後は負傷や不調もあり中々結果を残す事が出来ず、インテルに移籍後もその傾向が続いていました。そのまま所謂「一発屋」として表舞台からひっそりと去るものであると噂されていましたが、1994年に「異国」日本への移籍が決定。
当時はジーコやリネカー等の大物が移籍する等Jリーグバブルに湧き勢いがあったものの、リーグ創設僅か1年のリーグにW杯得点王&ビッグクラブに所属していた選手の移籍は話題になり、その活躍が注目されました。
そんな中でスキラッチ選手は、小柄な体格で運動量もそれ程多くは無いながらも、鋭い動き出しやシュートテクニックを生かしゴールを量産。最終的に怪我で離脱して得点王は逃したもののリーグ戦で31ゴールを記録し大きなインパクトを残しました。
ただ翌年は怪我に苦しみ最終的に腰痛の影響もあり引退する事に。輝いたのは僅か2年弱ながらJリーグで確かな足跡を残し、非常に人気もあった選手でした。
③「トト」と呼ばれ親しまれたイタリアを代表するストライカー
個人的に私はスキラッチ選手のゴールを万博競技場で見たことがあります。
当時ガンバ大阪を追っていましたが前半の早い時間帯に名波選手のクロス性のパスをスキラッチ選手が頭で合わせてゴールを叩き込まれる事に。試合はそのゴールが決勝点になり敗北し悔しい気持ちはありましたが、そのディフェンダーを外す動きは今も鮮烈に覚えており、「世界って凄い」と感じていたのが思い出に残っています。(確か96年ぐらいだったと思います。)
抜け目のない動きでゴールを陥れ、「トト」と呼ばれ親しまれたイタリアを代表するストライカーであったスキラッチさん
ご冥福をお祈りします。
では