今回は2026年W杯を控え、かつて本大会を彩ったスターがどのような経緯を通して本大会で輝きを放ったのかを「個人的な印象から」ですが書いていきます。
6回目は「2002 デビッド・ベッカム」です。

①激しいバッシングに晒される事に
ベッカム選手は1994年にマンチェスターユナイテッドでプロデビューを果たすと、その後は「ファーガソンの雛鳥たち」の一員として数々のタイトルを獲得。イングランド代表でも1996年に初招集されると、1998年W杯のメンバーにも選出。グループリーグ3戦目のコロンビア戦にスタメン起用されると、フリーキックを決めチームの勝利に貢献します。
しかし決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン戦でシメオネ(現アトレティコマドリード監督)の挑発に乗って報復してしまい一発退場。その後チームはPK戦の末敗退を喫する事になり、「10 heroic lions one stupid boy(10人の勇敢な獅子と1人の愚かな若者)」と評され激しいバッシング(死の脅迫も)に晒される事になります。
それでもベッカム選手はマンチェスターユナイテッドで素晴らしいプレーを披露し、直後のシーズンではトレブルに大きく貢献し、バロンドールでも2位にランクイン。クラブののサポーターからは全面的な支持を得る事になりますが、一方代表ではユーロ2000では自身は2得点を演出するもチームは敗北。ベッカム選手は試合を通してブーイングを浴び、我慢ならずに中指を立て応戦。サポーターとの緊張感はピークに達していました。
②4年前の雪辱を果たす事に
しかし迎えた2002年W杯予選はエリクソン監督の下キャプテンとしてプレー。ドイツ代表相手に5-1で勝利する等活躍を続けると、1-2とリードされていたギリシャ戦では直接フリーキックを決め、本大会進出を決める活躍を見せます。
それ以降は彼を批判する声は少なくなり、本大会に期待感を持たれましたが、W杯の8週間前に右足の第二中足骨を骨折し、出場が危ぶまれました。
それでも酸素カプセルでの治療等を行い何とか大会に間に合わせると、待ち構えていたのは日本での「ベッカムフィーバー」。その端正なルックスや当時の髪型である「ソフトモヒカン」が爆発的に流行する等、大きな話題を呼ぶことになりました。
一方本大会ではスウェーデン、ナイジェリア、そしてアルゼンチンが同居する「死の組」に組み込まれており、初戦のスウェーデン戦ではドローに終わる事に。そして何としても勝ちたかった中迎えたアルゼンチン戦でベッカム選手は自らPKを蹴り、見事に得点。チームも勝利し4年前の雪辱を果たす事になりました。
③そのプロフェッショナルな姿勢とピッチ上の献身性は
その後ナイジェリア戦をドローで終え、決勝トーナメントに進出。1回戦のデンマーク戦では3-0の快勝を収めるも、続く準々決勝ではロナウジーニョのフリーキックに沈みベスト8に終わる事に。ベッカム選手も怪我明けで満足するパフォーマンスは見せる事は出来ませんでしたが、この大会を機に更にスター街道をひた走る事に。
その後移ったレアルマドリードではカペッロ監督からの冷遇があったものの、その姿勢やプレーで信頼を回復させる等、何かと逆転劇のエピソードが多いベッカム選手。そのプロフェッショナルな姿勢とピッチ上の献身性は未だに多くのファンの心に残っています。
では
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