今回は2022シーズン限りでの現役引退を決めた糸井嘉男選手について書いていきたいと思います。
①投手から野手へ
糸井選手は近畿大学から2003年のドラフト会議の自由獲得枠で日本ハムファイターズに入団。投手としての入団でしたが制球難や細かい技術に課題を残し、2年間は中々結果を残せずにいます。
2006年にその身体能力の高さから外野手転向を試みると、即時に2軍で結果を残します。すると翌年には徐々に1軍に昇格するものの、結果を残せず怪我で離脱する等苦しいシーズンを送ることとなります。
しかし2008年に自身初の開幕1軍を達成。怪我もあったものの復帰後はレギュラーとして活躍。クライマックスシリーズでも出場することとなり、着実に実績を積んでいきます。
②類まれなる身体能力と選球眼を武器に
そして迎えた2009年、その特大のポテンシャルは開花します。ゴールデングラブ賞を獲得していた森本選手からセンターのポジションを奪うと、月間MVPやオールスター出場等躍進。最終的にベストナイン、ゴールデングラブ賞のダブル獲りを果たす等前評判の高くなかった日本ハムをリーグ優勝に導く活躍を果たし、瞬く間に球界を代表するスターへ駆け上がっていきます。
その後は類まれなる身体能力と選球眼を武器に最高出塁率2回。ゴールデングラブ賞4回、ベストナイン3回のタイトルを獲得し、チームの主軸として活躍します。しかし2012年オフは自身が望んだメジャー移籍が叶わず、年俸交渉は長引く事態に。そして突如オリックスとの2対3のトレードが成立。この近年最大ともいえる世紀のトレードは多くの話題を呼ぶことになりました。
しかし糸井選手は新天地オリックスでも大活躍。2014年にはキャリアハイの成績を残し、自身初の首位打者を獲得。更に2016年には当時の史上最年長(35歳2か月)で盗塁王に輝く等主軸として活躍します。
そして2016年オフにFAで阪神に加入。毎年のように怪我に悩まされながらも時折規格外のホームラン(2017年8月30日ヤクルト戦のサヨナラホームラン、2018年8月9日巨人戦の看板直撃弾は忘れられません。)や驚異的な出塁力を生かし3シーズンの間レギュラー、その後は併用起用や代打として活躍しました。
ただ後述するような怪我が響き年々成績を落とすと、今シーズンは2年ぶりの開幕スタメンになり序盤戦は輝きを放つも、怪我やコロナ感染もあり2軍落ち。そして9月12日現役引退を発表しました。
③幾度となく壁を乗り越えた精神力
糸井選手は超人という異名を持つほど、その特筆した身体能力がピックアップされがちですが、その精神力も尊敬出来る選手です。
即戦力が期待されていた大卒3年目からの外野手転向。プロ野球に生き残る為とは言え、余り例が無い(普通では戦力外になってもおかしくはない)状況での転向、そして開花は可能性の高さはあったものの並大抵での努力では出来ないことです。
また何度も怪我に悩まされており、特に左膝や足首の怪我は慢性化しておりシーズンフル出場は1シーズンのみ。しかしその中でも自身の走り方を変え盗塁王を取る等、常に自信と向き合い研鑽していたと思われます。
その幾度となく壁を乗り越えた精神力は何事にも代えられないもので、是非若い選手に受け継いで欲しい所です。
引退会見では涙を見せず、もはや名物化していた糸井節炸裂でやり切ったと答えてくれた糸井選手。阪神は何らかのポストを用意する事を決定しており、今後の活躍も期待していきたいです。
19年間本当にお疲れさまでした。
では
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