今回はフランクフルト所属の長谷部誠選手について書いていきたいと思います。
1回では書ききれない為、3回に分けていきます。
1回目は浦和レッズ~ヴォルフスブルク(2000~2009)時代です。
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①レッズの黄金期を支える
長谷部選手は静岡県立藤枝東高等学校から2002年に浦和レッズに入団。
当初は攻撃センス抜群のドリブラーとして頭角を現し2003年からレギュラーに定着すると、トップ下やボランチとしてプレーしボックスtoボックスのプレーも身に着け、シーズン中盤には鈴木啓太と息の合ったダブルボランチを形成。
そのシーズンの2ndステージ優勝に大きく貢献すると、その後も主力として定着。リーグ優勝1回、ナビスコカップ1回、天皇杯2回、AFCチャンピオンズリーグ優勝1回を獲得し、前述した鈴木啓太や坪井、闘莉王、山田、ポンテ、ワシントン等と共に第1次浦和黄金期を形成しました。
そして2008年冬の移籍市場で当時鬼軍曹マガト監督が率いるドイツのヴォルフスブルクに移籍。満を持した海外挑戦となります。
②鬼軍曹の元ブンデスリーガを制覇
こうしてドイツに渡った長谷部選手ですが、ドイツ語を熱心と勉強しコミュニケーションを円滑にさせることで即チームにフィット。マガト監督の要望通りの役割をこなし信頼を得ることになります。
そして半年後にはボランチだけではなく右サイドバックや右サイドハーフとしてもプレーし、チームはグラフィッチ、ジェコ、バルザーリやベナーリオ等がブレイクし躍進。勢いのままバイエルンにも勝利し首位に立つと、そのまま突っ走りクラブ初のリーグ優勝を達成。ブンデスリーガの歴史に残るチームの一員となります。
③補完性抜群のコンビで代表に定着
そんなクラブで順調なステップアップを果たしていた長谷部選手ですが、代表では2006年に初選出されるも海外組優先の選出やプレー面でも目立てず、ドイツW杯にも選ばれることはありませんでした。
その後オシム監督になってコンスタントに招集されるようになりましたが絶対的なレギュラーには選ばれず(最大のライバルは浦和の相棒でもあった鈴木啓太です)、怪我もあり召集メンバーにも漏れることも多くなりましたが、転機が訪れたのは2008年のキリンチャレンジカップのコートジボワール戦でした。
長谷部選手はこの試合で先発すると先制点をアシストを含む好プレーを披露すると、その後の南アフリカ大会の3次予選からはスタメンとして定着。特に当時絶対的な司令塔として君臨していた遠藤とのコンビは、巧みなサポートで彼を生かしそして自身も彼に生かされる等補完性が抜群で日本代表の大きな武器に。
2010年のW杯に主力として迎えることになります。
では
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