今回は2022年4月30日に死去したミノ・ライオラ氏について書いていきます。
①名声を高めたビッグディール
ライオラ氏は移住したオランダのHFCハールレムの育成部門やSDを経て、1986年からサッカーの代理人業務に関わっていくこととなります。そしてベルカンプ(インテルへ)やロイ(フォッジャへ)の移籍に携わると、当時チェコの中心選手となりつつあったネドベドのラツィオ移籍を実現させると一気に名声を高めることとなります。
そしてその手腕を高く買った有名選手が次々と彼と代理人契約を締結。イブラヒモビッチ(ACミラン)、マクスウェル(元インテル等)、バロテッリ(アダナ・デミルスポル)等、若くして才能を買われながらも精神的に未熟で誤った選択肢を取りかねない選手達を公私共にサポートしつつ理想とされる移籍を実現させ、さらにクラブからは高額の移籍金や手数料を引き出すことからいつしか彼はスーパーエージェントと呼ばれるようになりました。
②その強引な手法に批判が集まるも
ただその強引過ぎる手法には時には批判が集まりました。上記のネドベドのユベントス移籍は本人には一切知らされていなく本人に激怒され、(恐らく彼の律儀な性格を考えると経営破綻しそうだったラツィオに残る可能性は高かったと思われます。)当時ユナイテッドのユースで期待されていたポグバをフリーでユベントスに移籍させ、ユナイテッド上層部(特にファーガソン監督)を激怒させています。
またバルセロナでのイブラヒモビッチの待遇を巡ってグアルディオラ監督と真っ向対立。結局彼との距離が縮まることは無かったです。
しかしそれはあくまで選手ファーストを考え抜いた為であり、この後も代理人契約を続けていることや、上記2選手の新天地での活躍を見るとその決断は間違っていないことが分かります。
ただ近年は毎年のようにポグバを移籍示唆させたり、ドンナルンマのパリSG行きをチーム状況を想定しきれないまま強行させたり(本人にも問題はありそうですが)、ハーランドを所謂競りにかける等、やや本人が出過ぎている感があり、FIFAの代理人手数料規制の動きもありその動向に注目されていました。
③選手から愛されクラブからは嫌われる代理人の鑑
そんな中の訃報、本人は二日前にTwitterで否定していたように懸命に病と闘っていたのでしょう。そして数多くの選手達が追悼メッセージを送っており、いかに彼が選手から愛されていたのかが分かります。そして普段いがみ合っているクラブからも多くのメッセージが投稿されており、彼がいかにヨーロッパサッカーに良くも悪くも影響力を与えていたかが分かります。
イブラヒモビッチが、「ここで詳しく説明するか? ミノは天才だ」と称賛するように、選手から愛されクラブからは嫌われる代理人の鑑であったミノ・ライオラ氏。
ご冥福をお祈りします。
では