今回は2021シーズン限りでの現役引退を決めた中田賢一選手について書いていきたいと思います。
①暴れ馬
中田選手は2004年に北九州市立大学から中日にドラフト2位で入団。中日では新人ながら開幕ローテーションに抜擢。怪我もあり15試合の登板に終わりますが8勝を挙げる活躍を見せます。
その後は中日のローテーション投手として活躍。抜群の球威と変化量の大きいフォークを武器にしながらも制球に難がある所謂「荒れ球」投手で、四死球で崩れる場面が多い投手でした。しかしノッた時の投球は圧巻で、二桁三振を取ることも珍しくありません。特に2007年はシーズン終盤まで奪三振王を競い、中日球団史上初めてとなる規定投球回数到達で奪三振率9.00以上を記録。キャリアハイの14勝を挙げる等、チームの日本一に大きく貢献します。その頃から当時の落合監督から「暴れ馬」と名付けられ、以降は彼の代名詞となります。
しかしその後は怪我やそのムラの激しさが裏目になる部分が多く、大量失点を喫したり自滅したりとローテーション投手として一定の活躍は見せるも徐々に先発での出番は減っていきます。2013年では中継ぎとして15ホールドを記録するも先発では援護点に恵まれず先発では1勝しか挙げられませんでした。
そしてそのオフ国内FA宣言を行います。
②常勝軍団の基礎を作る
年俸も安く実績を併せ持つ中田投手にはヤクルトや阪神、ソフトバンクが交渉に向かいましたが(ヤクルト交渉時でのV字に並べられたミルミル+ヤクルト400は印象的です。)、最終的には地元のソフトバンクに移籍。
1年目から先発不足に悩む投手陣においてスタンリッジと共にローテーションを守り、防御率は4点台ながら11勝をマーク。チームの日本一に大きく貢献します。そして翌シーズンも怪我で出遅れるもののローテーション投手として活躍し2年連続の日本一に大きく貢献しました。
しかしその後は分厚くなった投手陣において、怪我人の代わりや谷間の先発をする等起用はやや限定的になりますがそれでも不可欠な戦力として活躍し、2017年、2018年の連続日本一に貢献します。ただ2019年は高橋礼投手や大竹投手の台頭で中田投手の居場所は無く、2019年に無償トレードの形で阪神に入団します。
二桁勝利は初年度のみと数字には表れてはいませんが、「常勝軍団」と呼ばれている現在のチームの基礎を作る素晴らしい活躍を見せたと言えます。
③その豊富な経験を後輩に
2020年はその常勝軍団で培われた豊富な経験を買われて、6月に先発で3試合登板しますが制球難に苦しみそのまま2軍降格。翌2021年は2軍で調整するものの1軍登板はありませんでした。そして9月28日に引退することを発表。
1軍通算297試合で100勝79敗16H1sと21もの「貯金」を作り、16年間の現役生活を終えました。阪神では僅か2年(中日のイメージが凄く強いです)の在籍だったものの、その豊富な経験やプロとしての姿は必ず後輩に伝わっていると思います。
本当にお疲れさまでした。
では
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