今回はワールドカップ予選ヒストリーを書いていきたいと思います。
4回目は「2002年 チェコ代表」です。
主な選手&布陣
①バランスの良いチーム
チェコ分離独立後初のW杯出場を狙うチェコ代表にとって2002年は非常に大きなチャンスでした。やや守備に難がありオランダ(大会ベスト4)、フランス(大会優勝)と同居したユーロ2000はグループリーグ敗退に終わりましたが、W杯予選ではデンマーク、ブルガリアなどは同居したもののタレント力を考えれば突破は比較的容易であるとされていました。何より
ベルガー(リヴァプール)
コレル(ドルトムント)
シュミツェル(リヴァプール)等の既存のタレントに加え、
等若い選手も台頭し始め、バランスの良いチームになっており予選で躓くとはこの時は誰もか思わなかったと思われます。
②監督以上の権限を持つ独裁者
しかし歯車が狂い始めたのは予選3戦目。弱小国であったマルタ相手に退場者を出しスコアレスドロー、そして年明けのデンマーク戦に1分1敗と負け越します。その後アイスランドに大敗しデンマークに差を離されるとそのまま予選が終了しプレーオフに回ることになります。
ここまで予選でもたついた原因となったのは、当時のホヴァネツ代表監督とネドベドを始めとして主力選手の確執が表面化しチームのまとまりに欠いたことにあります。
特に当時のチームリーダーであったネドベドは対立派からは「監督以上の権限を持つ独裁者」と評されチームを纏めることは出来ずナイーブになるばかりでした。(そのストイック過ぎる性格が仇になったらしいです。)
プレーオフの相手は何とか2位には食い込んだものの世代交代に失敗し、戦力差では大きく劣るベルギーとの対戦になりました。
③内部分裂
そして迎えたプレーオフ第1戦は、先制を許した上に守備の要であるジェプカが前半の内に退場してしまいそのまま同点に追いつくことなく敗戦。
続く第2戦も攻め手にあぐね、終了間際に決勝点を奪われた上にネドベド、バロシュが退場と後味の悪い結果に終わりプレーオフで敗退しました。
前述したように中軸選手の脂がのり若手選手の台頭で期待されたチェコ代表は、「内部分裂」という最悪の形で幕を閉じてしまいました。
そして予選後ネドベドと対立していたとされるジェプカ、ベルガーが代表を実質引退し、これまでアンダー世代を指揮していたブリュックナー監督が就任。代表へ嫌気がさしていたとされるネドベドを説得し再び代表の中軸に添え、厳格な規律の元チームを再始動させます。
この苦い思い出は2年後のユーロで「優勝候補」と評される程チームが成熟し、ネドベドもバロンドールの獲得や、ユベントスやチェコ代表のレジェンドになるなど大輪の花を咲かせる要因となりました。
では
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