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ウェイン・ルーニー 前編 ~2代目「ワンダーボーイ」~【特集】

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今回は現役引退&ダービー・カウンティの監督に就任したウェイン・ルーニー選手について書いていきたいと思います。

1回では書ききれない為、3回に分けていきます。

 

1回目はエバートンマンチェスターユナイテッド(2005~2006)時代です。

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Getty Images

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①2代目「ワンダーボーイ

ルーニー選手は1995年にエバートンの下部組織に入団し、2002-2003シーズンに16歳と298日でトップデビューします。当時も神童と呼ばれ将来を嘱望される存在でしたが、その名を広めたのは名門アーセナルとの試合でした。

リーグカップでゴールを挙げたもののプレミアリーグでの初得点が無かったルーニー選手ですが、1-1で迎えた90分に彼は浮き球を上手く収め素早くターン、中央へ少し切り込んだあと右足を一閃。そのボールはGKシーマンの伸ばした手を越え、バーの下部を叩きインする劇的なゴールを挙げます。特筆するのはそのシチュエーションで、

・試合終了直前の劇的なゴール

プレミアリーグ最年少得点記録を更新(その後ヴォーンが更新)

アーセナルの連続無敗をストップ(30試合)

アーセナルを首位から引きずり落とす(優勝できなかった際の大きな要因になる)

といずれもインパクト大で、彼のスター性の高さを感じる試合となりました。そのシーズンは9ゴールを挙げ十分な成績を残すと、イングランド代表にも召集され17歳と111日で初ゴールを決めオーウェンの代表での最年少得点記録を更新。2代目「ワンダーボーイ」として瞬く間にスターへと駆け上がりました。

しかし次のシーズンは起用法等でモイーズ監督と衝突し関係性が悪化。自身の去就を含めた不安要素を抱えながら、初の国際大会となるユーロ2004に挑みます。

 

②衝撃的な活躍と怪我

上述したように不安を抱えたユーロ2004ですが、ルーニー選手はレギュラーとして躍動します。スイス戦、クロアチア戦で2ゴールを挙げ、フランス戦もマン・オブ・ザ・マッチになる活躍をしチームのグループリーグ突破の原動力となりますが、準々決勝のポルドガル戦の前半途中に負傷交代。チームも延長後半に同点弾をたたき込む驚異的な粘りを見せますがPK戦の末敗北。

しかし彼のビッグゲームでの活躍は欧州でも響き渡り、同大会ベストイレブンに選出されます。そして国外の強豪クラブも彼に興味を持ち、彼の決断が注目されるようになりました。

 

③名門への入団と衝撃的な活躍

最終的にルーニー選手が選んだのはマンチェスターユナイテッドでした。移籍期間最終日に移籍金2560万£で移籍し、晴れて名門クラブの一員となります。クラブ側も2003-2004シーズン、アーセナルに後塵(しかも無敗優勝)を許し、「金満クラブ」チェルシーの存在もありクラブの新たなアイコンとなるスターを求めていたことも大きく、彼は反撃の象徴となります。

ルーニー選手もその期待に応え、骨折から復帰後は出色のパフォーマンスを披露。チャンピオンズリーグフェネルバフチェ戦では最年少ハットトリック記録を更新、リーグではアーセナルの無敗記録(49試合)を再度止める2ゴールを挙げ、新星ユナイテッドの象徴となっていきます。

結局リーグでは「最堅」チェルシーにタイトルを奪われ、3位に終わるものの自身は11ゴールを挙げる活躍をします。しかし彼の奮闘だけではチェルシーの牙城を崩すことが出来ず、彼に続く新たな「スター」の登場が待ち望まれていました。そしてその停滞感を崩し最高のパートナーとなったのは、彼と同様若くして加入しながらも才能を燻らせていた天才ドリブラーでした。

 

では

 

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WCCF FOOTISTA 【FOOTISTA 変換済み】★【11-12 EUS14】ウェイン・ルーニー